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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

火の国 ぶらり(Ⅳ)

1226天草01大江天主堂01


天草崎津の漁村景観

 天草という地名にはロマンがある。島原・天草の乱(1637-38)の総大将、天草四郎時貞は反乱のとき16歳の若さであった。汚れを知らない稚児のようなクリスチアンであったからか、それとも血縁か何か別の要因があったのか、よく知らない。島原・天草の乱を、豊臣遺臣キリシタン勢力の幕府に対する謀反と捉えるのは一面的な理解にすぎないらしい。重税に対する一揆という側面がむしろ大きく、検地の誤りがそのベースにあった。
 しかしながら、天草の原城に籠城したキリシタン=一揆軍はポルトガル本国からの支援を待ち続け、一方の江戸幕府はオランダに頼ろうとしていたというから、その図式はわれらが『薬研堀慕情』を彷彿とさせる。
 乱の鎮圧後、島原・天草のカトリック信徒はほぼ根絶され、幕府は禁教策を強化し、ついには鎖国に至る。しかし、島原半島・天草諸島には「隠れキリシタン」が少なからず潜伏し続けた。とりわけ島嶼の散在する天草は格好の隠れ場となった。鎖国が落ち着いた後、幕府はキリシタンの取り締まりを緩めたとも言われている。いわば「見て見ぬふり」を決め込んだ。幕府直轄領となった天草の海産物(乾物)を清国に輸出することで、幕府の財政が潤ったからである。
 天草諸島下島の西海岸には、大江(↑)や崎津に天主堂がいまもある。これらは近代の建築遺産だが、江戸時代に脈々と受け継がれた隠れキリシタンの信仰が明治になって顕在化したものである。

1226天草02崎津03天主堂01


 天草を訪れたのは重要文化的景観「崎津の漁村景観」(2008選定)を視察するためである。カーナビの目的地を天草市役所に定めた。熊本から2時間かかる。そこで、重要文化的景観について訊ねると、庁舎分館にある教育委員会の世界遺産室を紹介された。市役所のなかに世界遺産室がある。本腰を入れて天草の世界文化遺産登録をめざしているということであり、重要文化的景観「崎津の漁村景観」の選定がその活動の一環であろうことは容易に想像された。世界遺産室で二人の担当官と名刺交換し、重要文化的景観に関する情報をいただいた。「崎津の漁村景観」は雲仙・天草国立公園内の漁村集落を対象としたものであり、敢えて崎津の天主堂(↑)をエリアから外している。さらに、追加選定の対象候補となっている大江の農村集落と倉岳町棚底地区の「防風石垣」景観の位置を教えていただいた。市役所のある本渡から西行して下田を経由し下島西海岸の大江、崎津をめぐり、そこから反転して上島東海岸の棚底をめざすことにした。

1226天草02崎津05猫

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  1. 2012/01/02(月) 04:40:14|
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