宝珠山岩屋神社・熊野神社 竹棚田は福岡県朝倉郡の宝珠山村にある。県境を越えれば、大分の日田皿山だ。棚田のすぐそばに宝珠山が聳える。その山が仏界であることを示す名称だが、そこにあるのは寺ではなく、神社であった。これを岩屋神社という。ただし、岩屋権現という別名ももっている。「権現」とは「(仏が)仮の姿で現れた」神であることを意味する。いわゆる本地垂迹思想による神仏習合のあり方を示すものである。
宝珠山村は、九州修験道の中心地「英彦山」に近接することから、修験道と密接にかかわり、ほぼ全域が英彦山権現の神領とされていた。『岩屋神社来歴略記』によると、起源は継体天皇25年(531)にまで遡る。後魏の僧、善正が渡来して彦山を開創し、翌年、宝珠山で宝泉寺大宝院を開基したと伝える。また、役行者も岩屋に入峰したと記す。六郷満山と同様、神仏習合が著しく進んでおり、宝珠山という「仏界」に岩屋神社(岩屋権現)がある。そこには権現岩、熊野岩、重ね岩、貝吹岩、鳥帽子岩、見晴岩、馬の首根岩と呼ばれる7つの「大岩」が聳え、その一部に社殿が付随する。

山麓の鳥居をくぐり石段を上がるとまずは天然記念物の「岩屋の大椿」があり、さらに上がると琴平宮に至る。巨巌に穿つ隧道(トンネル↑)をぬけて、またしばらく上がると、権現岩の岩陰に建つ岩屋神社本殿(重要文化財)に至る。岩屋神社本殿は元禄11年(1689)の再建で、茅杉皮重ね葺き一重(ひとえ)入母屋造の外殿と厚板葺き片流見世棚造の内殿からなる。内殿の前には薦(こも)で包まれたご神体の宝珠石が祀られているという。
岩屋神社から左上手の熊野崖の中間あたりに熊野神社(重要文化財)がみえる。伝承によれば、そこは天狗が蹴って穴をあけた熊野岩のくぼみであるという。貞享3年(1686)に村民が建立した板葺き三間社流見世棚造の社殿は、まるで「小型の投入堂」のようにみえる懸造の建物である。彦山は養和元年(1181)、京都の新熊野社(いまくまのしゃ)の荘園として後白河法皇によって寄進され、以後、熊野修験道の影響下に入った。岩壁や岩盤には柱穴などの部材を納める痕跡と思われるピットが複数残っており、中世の熊野社は現在よりもはるかに大きかったと推察されている。

↑岩屋神社(右)と熊野神社(左)の全景。↓岩屋神社の外殿と内殿
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- 2012/03/22(木) 12:23:07|
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