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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

青柳山安楽寺(Ⅱ)

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 安楽寺の本堂は、間口7間半(14.92m)×奥行7間(梁行14.22m)の入母屋造桟瓦葺で、向拝1間。典型的な中規模の真宗本堂であり、前1間通りを広縁、中3間通りを外陣、後2間半通りを内陣とする。側まわりと外陣前面は角柱、内陣まわりと外陣内の独立柱2本は円柱である。外陣前面の角柱に几帳面を取り、堂内の柱上組物を支輪付きの二手先として、格天井を張り、欄間などの細工に凝る。内陣の二手先組は壁付きの巻斗からも手先肘木を出しているのが異様である。向拝繋虹梁の彫刻には目を奪われる。

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 棟札写には文化2年(1805)の上棟とあり、大工は伊藤藤兵衛則宗、作右衛門、和助、徳右衛門、新蔵等10名とされる。一方、寺蔵文書「寺内書上扣」(安政2年/1855)によると、享和2年(1802)3月から文化7年(1810)6月まで本堂「立替」とある。さらに、内外陣境には文化11年(1814)の墨書銘がある。なお、本堂の須弥檀並びに厨子は当初西本願寺様式であったが、昭和10年檀家信徒の喜捨(その当時時価千数百円)によって東本願寺様式に改め、建築と須弥檀・厨子の様式的統一をはかった。

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 鐘楼は一間四方の宝形造桟瓦葺。大石を用いた間知石積[けんち石=四角錐状に加工された石]の基壇に礎盤を据え、内転びのきつい円柱を立てる。装飾性の高い頭貫を支える肘木を一木にして左右の柱間を繋ぐ通肘木とする。頭貫の上には台輪ものり柱頭部分は三重の横材で堅固にかためている。中備には蟇股を用いて詰組にはしていないが、礎盤・台輪・全面扇垂木など禅宗様の要素を強調している。棟札写によれば、上棟は本堂と同年である。

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 山門は一間一戸の四脚門。屋根は切妻造桟瓦葺。控柱(円柱)を礎盤に立てる。このほか台輪、三斗組の詰組、妻飾の虹梁大瓶束など、やはり禅宗様系の意匠を強調する。ただ、大斗には皿斗を造出しており、大仏様の意匠もわずかに取り入れている。棟札写によると、上棟は安政7年(1860)であり、本堂・鐘楼の意匠を継承しながらも、意匠はいっそう派手になり、幕末期の特徴をよく示している。

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 伝承によれば、七代清右衛門(文五郎)は安楽寺再建の偉功を少しも誇らず、子孫もまた旧功を誇るようなことがあってはならぬとして、自宅に住職・寺総代・大工棟梁を招き、一同の面前で工事関係書類一切を焼却しつくしたという。ところが、当時の大工棟梁文蔵の玄孫(文蔵-大吉-喜蔵-信蔵)にあたる信蔵方に控え書類の一部が残っていたため、この一連の作事が文久2年(1862)の真宗開山600年遠忌をめざしたものであることがあきらかになった。また、家伝によれば、尾崎家六代覚右衛門(1787年没)が安楽寺の創建を企図し始め、七代に至ってそれを実現したという。
 真宗開山600年遠忌をめざした境内の再整備は享和年間に始まり、文化年間に本堂・鐘楼などの主要堂宇が完成したものの、伽藍の正面にたつ山門は七代の死後、安政7年に至ってようやく竣工した。
 それは、真宗開山600年遠忌の2年前のことであった。

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↑山門(四脚門)の強烈な装飾性 ↓鐘楼の柱についた彫物(左:巾着、右:蝉)
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  1. 2007/06/27(水) 00:35:50|
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