昨日は午後から常忍寺の調査を先生と抜けだし、鳥取県埋蔵文化財センター秋里分室でおこなわれた青谷上寺地遺跡出土建築部材検討会にオブザーバーとして参加させていただいた。青谷上寺地遺跡の建築部材で卒業論文を書く私にとって願ってもないことである。今後の事を考えての先生のご配慮だった。細かな事は割愛させていただくが、普段の「パチンコ」の「パ」を取ったり付けたりして遊ぶ先生とはまた違った顔を見ることができた。

その会で私は初めて遺跡から出土した建築部材に触れた。PEG(ポリエチレングリコール)で処理されているものの、外見はもちろんのこと、触感も古民家の使い古された柱材をなでているようで暖かみがあった(註:PEG処理法とは、出土した木材の水分を抜きポリエチレングリコールを含浸させる保存処理の方法)。部材が経てきた歴史に思いを馳せていると、まもなく出土部材についての意見交換が活発になされた。さすがというべきかなんというか、飛び交わされる専門用語(といっても、建築をやる人間にとってはごく当たり前の用語なのだろうが…)に翻弄されている自分をよそに、先生ともう一人の検討委員である某学芸部長さんは垂木一本から弥生時代の建築を再構成していく。
以下は特に話題にのぼった部材を、私が理解し得た範囲で書き連ねたものである。また、部材番号については、青谷上寺地遺跡出土建築部材データベースにリンクしている。類例が正しいかどうかはわからないが、参考にしていただきたい。
①KJA43476→リンク先:類例
KJB6730 全長4100㎜。出土した垂木から先生が仮復元してみた建物の「梁」になるのではないかと予測された材。ちなみに茶畑第一遺跡掘立柱建物12の梁(4800㎜)よりひとまわり短い。
②
KJB14143 全長3300㎜。正方形(130×120㎜)に近い角材、壁小舞の痕跡(間渡)らしきものが残る。浅川先生は平屋、某部長は一部に残るアタリから高床と推定された。上端に輪薙込の仕口がついている。
③KJB13810→リンク先:類例
KJA42256 全長3890㎜の垂木。丸材である。
④部材番号?→類例:
KJA44132 全長3980㎜。KJB13810を90㎜上回る角材の垂木。ケラバで妻壁と接する材か。取り上げ番号(KJA~)を押さえる事ができなかった。
⑤
KJA36391 全長5000㎜。データベースでは「大引?」となっているが、検討会で「桁」ではないかとの意見が出た。この材のみで一本の桁ではなく、左右対称の材が2本が組み合わさっていたのだろうと推測された。
⑥KJA43246→類例:
KJA43083 全長2600㎜。材の両端に「欠込み」がしてある。典型的な屋根倉系建物の根太(梁?)と思われる。類例には「梁」と出ているものを持ってきた。

↑↓垂木の長さから断面図を作成していくプロセス(梁間が4300となっているが、4100の部材がみつかり、軒の出を700に修正した)

今回は③と④の垂木を中心に弥生時代建築の仮復元を先生が試みている。ここからは数学になるので、苦手な方は答え(写真)のみどうぞ。
垂木③を斜辺に持つ直角二等辺三角形の底辺を求めるには、垂木③の長さ3890㎜にCOS45°をかければよい。3890×1/√2≒2750 この値を2倍すると、2750×2=5500 ここで軒の出を600㎜と仮定すると、梁の長さは5500-1200=4300
茶畑第一遺跡掘立柱建物12の復元建物(2004年3月)の梁は4800㎜となっているため、今回の垂木③を基にした復元建物は茶畑のものよりもやや小振りのものになると仮定されるが、いわゆる「大型掘立柱建物」の部材である可能性は非常に高いと先生はおっしゃった。
長々と書いてしまった。各部材に対する認識に誤りがあるだろうが、ご容赦いただきたい。なにはともあれ青谷上寺地がまた動き出した。このプロジェクトに関われる事を幸せに思い、今後とも精進していきたい。
最後になりましたが、各関係者の皆様、厳しくも暖かいご指導ご鞭撻をよろしくお願いいたします。(チャック)
- 2007/08/11(土) 01:38:16|
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