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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

クア・ヴァン再訪-越南浮浪(Ⅲ)

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 調査が始まった。昨年の小型遊覧船ではなく、昨日乗った2階建のクルーズ船と同型の大型船を貸し切り。通訳を二人連れているので、昨日より乗船者は一人多い(前日はスペインのアーティスト1名)。この大型船はスピードがある。昨年は3時間半かかったクア・ヴァン村(水上集落)まで2時間あまりで到着した。
 いまクア・ヴァンと記した。昨年のブログでは、ハン・ティエン・オン(Hang Tien Ong)村と書いている。これは、水上集落にある洞窟の名称であることが分かった。ハンは固有名称、ティエン・オンは神の名であるという。ティエン・オンは漢語起源の言葉ではないか、と思い、そう訊ねてみたのだが、「いや、ベトナムの神だ」との返事。ベトナム人は「ベトナム固有の文化」だと思っているが、じつは古い中国の伝統に因む文化要素は数限りない。ハノイ下町の商店の片隅に「商いの神様」を祀っていて、やはり「ベトナムの神」だと言っていたが、それはマカオでみた「関帝廟」とほとんど変わらないものであった。
 昨年調査し、今年も継続調査する水上集落の名称はクア・ヴァン(Cua Van)である。ヴァン(van)とは中国語の「坊」に起源するベトナム語。条坊の「坊」である。「居住エリア」とでも訳せばよいであろうか。クアが村の固有名称である。

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↑村長の娘さん ↓村長さん宅でのご挨拶
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 10時半すぎ、クア・ヴァン着。1年ぶりに戻ってきた。感慨一入。船に何艘も小型船が寄り集まってくる。そのなかにひときわ目立って流麗なご婦人がおり、訊けば「村長さんの娘さん」だという。彼女やその近親者の漕ぐ3艘の竹編船に乗り、村長さんの家へ。あいにく村長を務めるチョーさんは陸に出かけていて、息子さんが対応してくださった。そこに、セキュリティ委員会の役員ロックさんもあらわれた。ロックさんは某数寄屋大工見習いOBの師匠(棟梁)とよく似た風貌。
 そのミーティングで得た情報によると、村の世帯数は127。うち「パーマネント」な世帯は87だという。さらにこの村は4つの集団に分かれていて、それぞれの集団に長がいるとのこと。午前中あまった時間を利用して、ロックさんに連れられ4集団の長に挨拶してまわった。以下、各長による各集団の概要説明。
  第1グループ: 27世帯(うちパーマネント?世帯)  長:ニャットさん
  第2グループ: 33世帯(うちパーマネント27世帯) 長:ドゥックさん
  第3グループ: 30世帯(うちパーマネント23世帯)  長:チョーさん
  第4グループ: 36世帯(うちパーマネント29帯)  長:ウットさん

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 懐かしいコミュニティ・センターを訪れ、顔馴染みの(とわたしたちが勝手に思っている)少女たちに「覚えているかい?」と訊ねるのだが、キョトン??とした顔をしている。エアポートは言うのだ。
  「チャックさん以外の記憶はないんですよ・・・」


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↑2班測量風景 ↓2班 スケッチするハルさん
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 昼食後、調査隊は以下の3班に分かれた。
  1班[隊長&副隊長&通訳Ms.ハン]: ロックさんの案内で第1集団のヒアリング。わたしが「屏風岩」と命名していた集落入口の目隠し岩(現地では「真珠岩」と呼ぶことが分かった)の内側にセトルメントするグループ。130枚複写しておいたアンケート・シート(英語・越後併記)の項目を、通訳のMs.ハンと副隊長が次々に埋めていく。そのあいだ、わたしは間取りの略図に屋根伏を重ねあわせ、屋根材料(色彩)・壁材料(色彩)・養魚漕の有無などを書き添えて、さらにできるだけ多くの写真を撮影した。
  2班[某院生&ハルさん]: 寺院の前庭に陣取り、まずは特別顧問ひらちゃんの指導で三脚を設置。GPSで座標を得た後、ハンディトータルステーションを搭載。このトータルステーションはミラーなどのターゲットが要らないタイプ。いくつか重要なポイントに直接光波を飛ばして、距離と角度を計測した。ハルさんは水墨画のためのパノラマ・スケッチを開始。
  3班[ひらちゃん&エアポート&通訳Mr.ファム]: 某院生とトランシーバで連絡をとりながら、昨年作成した地図(集落配置図)にしたがって移動開始。通訳のファムさんが同行。昨年と比較して、配置を替えたり、すでに村から去った筏住居が少なくなく、二人で全戸(家船をのぞく)の配置のスケッチを取り直した。こうしておかないと、測量やアンケートと配置図との対照が不完全になる。二人の調査によれば、各グループの筏住居の数は以下のとおり。

  第1グループ: 20
  第2グループ: 26
  第3グループ: 28
  第4グループ: 50
       計  124

 筏住居の数は124であり、村の責任者から教えられた世帯数は127である。この誤差については以下の要因が考えられよう。
  1)いまなお家船に住む世帯が若干あり、3班は家船の数をかぞえていない。
  2)筏住居には空き家になっているものがごくわずかに含まれる。逆に複数の筏住居を1世帯で所有する場合もある。
 筏住居が空き家や附属舎になっている場合があるのと同様、家船についても、居住者のいる家船なのか、元「家船」で現在は倉庫や休憩所になっているものなのか注意してみる必要があるだろう。

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↑1班は第1グループのヒアリング ↓第1グループにはビリアードをおく筏住居が2棟あった。
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  1. 2007/08/24(金) 23:06:32|
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