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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

盂蘭盆会-越南浮浪(Ⅴ)

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 今日は丁度ベトナムの旧盆であり、午前中はハロン湾のお寺での儀式に参加させてもらえることになった。
 私たちはクッキーなど、祭壇へお供えするためのお菓子を用意し、ボートで移動をはじめた。祭祀を司る村長さんもやはりボートで現れ、スイーッっとお寺へとあがってきた。小奇麗な格好のおじいさんである。大きめのシャツと黒の帽子がとても似合っていた。一行もおじいさんにつづき、祭壇へ。中はきれいにされていて、既にドラゴンフルーツが供えられていた。ここに私たちの用意したお菓子も交ぜてもらい、集まった一同は心身を祭壇へ向けた。花火のような長い線香は、異国の香りには感じなかった。むしろ、私の故郷・沖縄の盆を思い起こさせた。

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 沖縄の旧盆でも、祭壇に御馳走やフルーツが供えられていて、いかにも先祖と親戚一同が同じ空間で時を過ごしているように振舞う。二十代の若者達がおとなしくなり、祖母は「子ども達も孫たちもみんな集まりましたよー。親戚皆、仕事に勉強にがんばっていますよー。」といった事を激しい訛りで唱える。そして線香の灯が強く光るのをみると、「オトーもオカーもみんな、よろこんでいるさー」と祖母がいい、皆の顔がほころぶ。

 ハロン湾で灯された線香からは、煙が帯のようにゆったりと棚引いていた。

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 船でしっかり昼食をとり、私は午後からハロン湾の景観をスケッチした。3日目にしてやっと岩山の表情を自分なりに捉えることが出来てきた。例えば山の稜線のや植物の生え方、色の変わり目の位置を、アウトラインから(ちょっとだけ)予測することが出来てきた。
 皆つかれがたまってきた様だ。私も今朝まで快調であったが、連日日光を浴び続けると、夕方にはウトウトしてしまう。いつもの大学生活なら、夕方から元気になるのに・・・。(ハル)


追記
 出国前、学生たちには「調査は長袖長ズボンが原則」だと指示していたのだが、ベトナムに入ってから曇天の日が多かったので半袖シャツで通していた。今日は快晴。いつもの半袖にしたのが失敗だった。灼熱の光線で腕が焼ける。

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 出港後、まずはインスペクティブ・オフィスを訪れた。日本でいえば「交番」ですね。通訳を務めるMs.ハンの旦那様が週に2度、駐在する。もちろん、彼女の旦那様にあうためにインスペクティブ・オフィスを訪れたわけではない(この日は別の駐在員がいた)。インスペクティブ・オフィスはじつは「未来型筏住居のパイロットハウス」なのである。壁はモルタルでできていて、いかにも頑丈なのだが、なにより重要なのはフェロー・セメントを使った基礎。このセメントを使うと、建物を海面上に浮かべることができる。基礎の厚さは1.2メートル。杭を海底に打ち込んでいるわけでもないのに、床面は非常に安定している。「微動だにしない」というのは大袈裟かもしれないが、ほとんど揺れを感じない。家屋内部は陸上の住まいとほとんど変わらない。オフィスと寝室を中廊下でつなぎ、中廊下の両脇にキッチンとトイレを配する。建設費は15,000US$(約170万円)。
 ハロン市政府および遺産管理局は、こういう建物を水上居民(漁民)の未来型住居の一つと考えているようである。一般海域なら、これで良いかもしれない。しかし、ここは世界自然遺産のエリアである。かように現代的な施設を多数建設してよいものか?
 景観以外にも欠陥がないことはない。養魚槽に不向きだという。フェロー・セメントで養魚槽までつくると海水の流れを遮断してしまう。しかも、フェロー・セメントの成分が海水に溶け出してしまう。建物がフェローセメントの基礎で近代化しても、養魚槽は伝統的な木組を維持しなければならないだろう。

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 昼前にクア・ヴァンに到着。今日はお寺で盆のお祭りをすることになっていた。わたしたちもお供えものを用意している。しばらくして、村長のチョーさんがあらわれ、東海皇官に祈りを捧げた。二つのコインが皿にのせてある。コインの片面に赤い紙を貼り付けて。二つのコインを皿にコロリと落とす。違う色がでたら、つまり赤と黒になったら吉祥。同じ色がでたら不吉。違う色の組み合わせになるまで、なんども繰り返す。
 昼食にはロックさんが自分の家で育てた魚をもってきてくださった。それを半分は蒸し、半分は炒めてもらった。大きい魚ではないが、味はとてもよい。今回、ベトナムに来てから食べた魚ではいちばん美味しかった。案内役をしてくださるロックさんとは、毎日昼食を伴にしているが、今日はチョーさんにも加わっていただいた。そういえば、昨年調査に同行してくれた遺産管理局のハオさんも今日だけ参加している。というわけで、総勢9名の大宴会となった。盆供養の直会ですね。

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↑ロックさんが魚をもってきた! ↓左:寺での供養 右:直会
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 午後から調査始動。今日は以下の分担。
  ハルさん: 遊覧船の位置を南側に移動。海水面が十字路のようになっているポイントで、前日同様、船デッキで絵を描く。
  某準教授&Ms.ハン: 第2グループ(集落)でヒアリング。ロックさんの家で集中的にディープな聞き取りをおこなったとのこと。
  某院生&ひらちゃん: チョーさんの家を基点にして、トータルステーションで測量。3~4グループ(集落)のうち寺の北側15棟および自然地形の約70ポイントを計測。
  エアポート&隊長: エアポートはL字形平面の筏住居を実測。隊長は昨年チャックが使ったハンディGPSを使って、集落内水面の主要ポイントで東経・北緯のデータを採り続ける。出国直前に仕入れたソニーの「GPSユニットキット」も併用した。これは胸やカバンにぶらさげておくだけで、GPSのデータ座標を時系列的に記録していく装置。エアポートも実測後、隊長の作業に加わる。半日で46ヵ所のデータを採取。ホテルで昨年のデータと照合した結果、今年のデータのほうが東経・北緯とも約30″大きくなっていることがあきらかになった。

 GPSデータを採取し続ける作業のなかで、筏住居以外の世帯、すなわち今でも家船に住む世帯を確認していった。現在、確認している範囲では、13艘の家船に人が住んでいる。このうち4艘はクア・ヴァンの定住者(パーマネント)だが、残りの9艘はいわゆる漂海民(アンパーマネント)である。とくに注目されるのは第4グループ北端の2世帯。北端の世帯はクア・ヴァンに来て3年め。2棟の筏住居と1艘の家船からなる。われわれの小型船の船頭さんとも親しくなっている。ところが北から2番めの世帯は全然雰囲気が異なる。1棟の小型筏住居の周辺に8艘の家船が集中。すべての家船が漁船を兼ねた生活船である。この集団のメンバーとわたしたちの船頭は一言も口をきかなかった。

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↑あまりに熱いので、靴下をぬいで足ちゃぽちゃぽ。この状態でGPSデータを収集し続けた。↓船の形をしたセメントの家。動かない。
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 さて、調査も3日めになり、ようやく気が付いた。家船らしき船はいくらでもある。しかし、それにはすでにモーターがついていて、トランスポーテーション専用の船になってしまっているのである。かつては居住と漁労、というか生活と生業のすべてに係わった船が、筏住居の建設後、交通専用のボートになってしまったわけっだ。じつは、わたしたちが日々利用している移動用の船も元「家船」なのであった。

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↑第4グループ北から2番目の世帯=滞在10年の漂海民 ↓第4グループ北端の世帯=滞在3年の漂海民
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  1. 2007/08/26(日) 23:49:02|
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