8月25日に智頭町で山陰考古学研究発表会があり、私はその会に参加させていただいた。私の卒業研究と関係が深いため大変ありがたいことであった。
翌日の26日の智頭の文化財見学会にも参加させていただいた。

今回の発表会の趣旨は「山間地域の縄文時代集落とその特質」となっており、6人の先生達の講演を聞いたあとにパネルディスカッション、島根大学山田先生の講評となった。
まず、講演のほうであるが、会場の「医療総合センターほのぼの」の真下にあった智頭枕田遺跡に関する新たな研究報告と遺跡の保存や活用に対する今後の課題が述べられ、この会を主催する「智頭枕田縄文遺跡の保存活用を推進する会」会長のY氏によって彼等のこれまでの歩みをお聞かせいただいた。
そして、次の講演が自分の卒業研究ともっとも関係の深い「智頭枕田遺跡の集落景観」と題された講演を聞いた。直接、住居の形や復元案などに関する話はなかったが、住居跡に関して、住居跡を特定する条件など、また現在の集落研究の現状などをお聞かせいただいた。
その後は、山間地域集落の特質として、地域間交流として栄えたということが、主に地域・年代における土器の形状の違いなどをとうして語られた。土器の種類などは直接的に私の卒業研究に関わってこないであろうが、住居跡の年代特定や、今回復元する3っつの竪穴住居形式の伝播の経路を調べる上では大変重要な材料になってくるのではないかと感じた。
パネルディスカッションでは、今回講演いただいた方々が壇上で議論を交わした。その中で、遺構の掘り込みが浅いなどの痕跡の弱い住居跡(キャンプハウジング的な使われ方をした住居等)の特定に土器溜りや炉辺の焼土を参考にする方法が新たに取り入れ始めていることなど興味深い話も聞けた。しかし、中心となった話はやはり、土器の種類や年代、土地による相違に関する議論が多く、今回初めて縄文土器の種類がこんなにも多くあり細かく分類分けをされていることを知った私は、話の内容と資料の画像を一致させることもままならず、焦りっぱなしであった。
↑石室内部 崩れた石室上部↓
26日文化財見学会では初めて古墳の内部に入ったことがまず頭に残る経験であった。他には、「智頭枕田遺跡の保存活用を推進する会」が子供たち向けに開いている、土器つくりの見学もさせていただいた。子供たちを元気の土釜の壁となる土を土器の上にかぶさった藁の上に盛り付けていっていた。その後の点火までは見学できなかったが、大人たちは、焼きあがる翌日まで監視をしなければならないとぼやいていた?のを覚えている。
その後、鳥取―和歌山間を車で往復する際何度も看板を見るだけになっていた智頭宿内にある石谷家住宅の見学をさせていただいた。その規模、細部にわたる作りこみに驚きながら、部屋から眺める広く美しい庭を眺める贅沢な時間を過ごせた。
最後は智頭宿の奥の奥にある板井原集落の見学をした。この集落は全国で唯一県指定の伝統的建造物保存地区であり、山などの周辺環境と一体となった景観を保存活用しようとされているところである。この集落内には車が入る道がないため、一度足を踏み入れると、舗装もされていない細い道が建物の間に通っていた。そこには、20そこらしか生きていない私には見覚えのない風景があったが、しかしとても懐かしいやさしい雰囲気に包まれた場所であった。ここには喫茶ってんもあり、見学会に参加された方々はコーヒーを飲み、集落内をぷらぷらとしたり気ままな時間を過ごし、智頭町役場で解散となったが、私は、1時の汽車に乗り遅れると、なんと3時間待ちとなってしまうため、一足先に失礼させていただいた。
今回、講演いただいた方々、参加前から面倒をみていただいたHさん、本当にお世話になりました。
↑板井原集落内から附記: 今回の研究発表会に参加するためにチャックさんには大変お世話になった。汽車に乗るために駅までの送り迎えをしていただいたのだ。助かりました。ありがとう! しかし、一日目の帰り、汽車の二時間待ち耐えかね、特急に乗ったのは痛かった。なにせ、鈍行と比べると倍以上の値段がかかるのだから。もし二日目の1時発の汽車に乗り遅れていたらと思うとゾッとするのである。
- 2007/08/26(日) 23:34:57|
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