
ハノイからハロン湾に向かう道すがら、ど派手な高層住宅が軒を連ねる。バルコニーやペディメントにコロニアル様式の細部がこれでもかと使われており、色彩も原色を多用して華々しい。なんと表現したらよいのだろうか、ロココというか、キッチュというか、あまり誉められた作品とはいえない建築が窓外を過ぎ去っていく。
いずれも農村住宅、つまり農家である。ベトナムは共産主義の国だから、土地は国有。したがって、個人所有の土地は存在しない。ただ、土地の借用権(使用権)は存在する。農村では、もちろん宅地はひろい。日本の地主農家のような途方もない広さではないけれども、極限まで高密度化しているハノイ下町の都市住宅の敷地に比べればはるかに大きい。そこに3階建、まれに4階建の住まいを建てる。前述のように、様式建築の細部をこれみよがしにひけらかすキッチュな装飾をもつ住まいを建てるのである(↑↓)。

はじめてベトナムを訪れた調査メンバーは、不思議な顔をして、この建物をみつめている。
「都市住宅をモデルとしているんだろ。ああいう高層住宅に住みたいという願望のあらわれさ・・・」
と、わたしは持論を披露した。反論する者はだれもいない。

ハノイはベトナム戦争の空爆被害を免れたフランス植民地時代の建築が今も数多く残っている。それは大型の公共建築や銀行に限らない。一般庶民の住宅も、ネオ・クラシッズムからアールデコあたりの匂いをぷんぷん漂わせている(↑)。低くて2階建、高ければ3階以上になるものもある。こちらなかなか品のある意匠だと思うのだが、ハノイではこういう植民地建築を取り壊す方向で町の再開発が進みつつある。
この植民地建築としての高密度高層住宅が農民たちの憧れであったのだろう。これを再現したい。農村の敷地に再現したい、と思うから、様式建築まがいの過剰装飾をもつ高層住宅が田園地帯に軒を連ねるわけだ。

↑ランソンの都市景観

中越国境に向かう日も同じだった。国道沿いの農家はコロニアルもどきの不思議な建物ばかり。この景観は中越国境の中継都市ランソンまで続いていた。ランソンを過ぎてヌン族やモン族などの少数民族地帯に入ると農村景観は大人しくなる(↑)。しかし、それにしても少数民族固有の建物が織りなす景観ではない。窓外の少数民族住居は漢族住宅の影響をうけた平屋建の家屋ばかり。これは中国側の農村の住居とよく似ている。中国側の国境山間地域に住むのはチワン族。タイ語系の少数民族だが、中国南方の少数民族のなかでは最も漢化している一群である。この住居形式(少なくとも外観)が国境を越えてベトナム側の少数民族にも浸透していったのではないか。
しかし、ひょっとしたら、近い将来、ベトナム側の山間地域にも様式建築もどきの高層住宅が林立し始めるかもしれない。少なくともその波はランソンにまで及んでいる。ハノイでは取り壊しの進む高層高密度住宅が、姿を変えて農村部に浸透しつつある。それが中越国境地域の景観を差別化する決定的な要因になっているのである。
フランスの植民地であったか否か。それが、今も両国の景観に影を落としている。コロニアルもどきの高層農家は、フランス植民地文化のデフォルメした遺伝子にほかならない。

↑↓ハノイ市内(旧城壁内部の下町)のコロニアル都市住宅


↑ハノイ旧城壁外の町並み。紅河に近い地区。新しい高層高密度住宅だが、コロニアル意匠の伝統をうけつぐ。↓ハロン湾沿岸の高層高密度住宅群。
- 2007/09/04(火) 19:45:09|
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- 2007/10/02(火) 13:12:41 |
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