7月25日に佐治町の旧村指定(現市指定)文化財である「笹尾神社薬師堂」の第2次調査をおこなった際にみつかった棟札・祈祷札の調査に行きました。浅川先生、氏子総代の木村さん、学生4名(西垣・北野・利蔵・ノビタ)の立会いのもと、地元の大工さんである西尾棟梁の手によって、小壁に打ち付けられていた3枚の札がはずされました。残念ながら、外された札はすべてが祈祷札で、裏に建築年代を示すものは皆無でした。大きな1枚の表には「天皇陛下」の4文字もみえ、戦前の祈祷札と思われます。したがって、薬師堂の再建年代が分からないままとなってしまいました。また、西尾棟梁に屋根裏に登っていただき、棟札が打ち付けられていないのかの確認をしていただいのですが、こちらも見つからないまま終わってしまいました。(西垣)

↑祈祷札を外す西尾棟梁

↑祈祷札の実測
薬師堂側柱筋の小壁に安政二年(1858)八月の銘をもつ板がたくさん打ち付けられていて、村ごとに寄付した人の名前が列記してあります。安政二年に薬師堂は移築されたもので、因幡三大薬師の一つとして信仰を集めていたため、寄付の範囲は佐治から用瀬、作州(岡山)にまで及んでいます。注目したいのは、薬師堂の立地する加瀬木の村名がみえないことで、薬師信仰と氏子組織とがほぼ無縁であったことがわかります。
- 2005/08/19(金) 20:06:35|
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