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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

ホーボーズ・ララバイ(Ⅱ)

 昨夜からDVD『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』を見始めたのだが、これが極上のララバイになってしまい、わたしはソファの上で心地よい眠りに落ちてしまった。だから今日、最初からもういちど見直した。
 『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』は1976年に全米公開されたウディ・ガスリー[1912-67]の伝記映画。アカデミー賞6部門、グラミー賞3部門でノミネートされ、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞ではデビッド・キャラダインが主演男優賞を獲得している。監督はハル・アシュビー。英文の原題は以下のとおり。

   “Bound for Glory” The Story of the Legendary Woody Guthrie

 DVDの発行は2006年で、五十嵐正氏がすばらしい解説を書いている。以下、この映画に関わる内容は氏の解説に依ったものである。
 原作はガスリーが1943年に出版した同名の自伝“Bound for Glory”(邦題『ギターをとって弦をはれ』晶文社 、1975)であるが、これをウディは「自伝小説」とも述べており、編集者による脚色がずいぶん入っているという。映画化にあたって、さらにドラマチックに粉飾されているであろうから、この映画をウディ・ガスリーの半生を描くノンフィクションとして捉えてはいけない。しかし、ウディが歌手を目指した時代背景とフォークソングがもっていた本来的な意味を十分読み取れる興味深い作品である。
 時代は1930年代後半。ウディ一家の住むテキサスは度重なる砂嵐と干魃のため、多くの町や村が廃墟と化していった。住民たちの多くは「約束の土地」カリフォルニアをめざした。ウディもまた、家族を残してひとり旅にでる。もちろんお金などもっていないので、ヒッチハイクや列車のただ乗りで一路西部をめざす。この列車のなかで、かれはホーボーたちの歌を覚え、そのメロディに独自の歌詞をつけていった。また、田舎町の酒場で弾き語りをして収入を得た。
 カリフォルニアにはなんとか辿り着いたが、そこはホーボーたちが夢見た「約束の土地」ではなく、強権的な地主が移住労働者をこきつかう過酷な世界であった。そこにオザーク・ビュールというフォーク歌手があらわれ、「労働組合(ユニオン)」の結成を呼びかけ、地主を揶揄するプロテスト・ソングを歌いまくる。その集会の熱い輪のなかにウディも自然に加わってゆき、気がつけば、かれは社会派フォークの旗頭となっていた。ウディは歌のうまさとオリジナリティが評価され、ラジオ番組のレギュラーに定着するのだが、「歌の社会性」をめぐってプロデューサーやスポンサーと衝突を繰り返し解雇される。また、CBSのオーディションにもパスするが、大手メディアの商業性に失望し、テレビ出演を辞退する。そして、再び家族を置き去りにしたまま、ひとりニューヨークへ旅だつのであった。
 この映画をみて、なにより労働運動とフォークソングの結びつきの深さを再確認できた。1960年代から70年代前半の日本フォーク(とくに関西フォーク)の状況を思い出さずにはいられない。

  さて、この映画のなかで「ホーボーズ・ララバイ」が短時間ではあるけれども、一回だけ歌われる。それはラジオ番組のイントロ・ソングとして、ガスリーほか出演者全員で合唱されていた。この曲がガスリーのオリジナルではなく、その時代にひろく歌い継がれていたホーボーソングの一つであったからこそ、番組の導入曲として採用されたのであろう。もっとも、先述のように、ウディ・ガスリーの作品は列車のなかで覚えた曲にオリジナルの詞をつけたものが多いらしく、どこまでがオリジナルで、どこまでがトラディショナルなのか、区別するのがやっかいではある(厳密に言うと、「ホーボーズ・ララバイ」はテキサス生まれのGoebel Reevesというシンガー&ソングライターの作品であるが、その曲は南北戦争の歌をもじったものであるといい、詞だけをホーボー風に変えた可能性がある)。


 この替え歌のような模倣というかバリエーションは、高田渡の作風にもあてはまる。映画のなかのウディがラジオ番組で歌う「ドレミ」という曲がある。この曲はジョーン・バエズやディランが参加していたウディ・ガスリー追悼コンサートのLPにも入っていて、もちろん以前にも聴いたことはあるのだが、五十嵐氏の指摘する高田渡との関係にはさっぱり気づかなかった。「ドレミ」とは「銭」を意味するスラングなのである。五十嵐氏のノーツを引用しよう。
 
  約束の地と夢見てきたカリフォルニアはそんな甘いところじゃないよ。
  元々金をもっていないやつには金を稼げない。すぐにお国に帰りなさ、と
  移住労働者の厳しい現実をシニカルなユーモアを交えて歌う曲だ。熱烈な
  ウディ・ファンのライ・クーダーが歌っているし、故高田渡氏が「銭がなけりゃ」
  という日本語詞で歌っていた。

 「銭がなけりゃ、君、銭がなけりゃ、帰ったほうが身のためさ、あんたの国へ・・・」という高田渡の歌詞は「ドレミ」の日本バージョンに間違いなく、「ドレミ」と「銭がなけりゃ」のメロディも似ていると言えば、よく似ている。それにしても、高田渡の名曲「銭がなけりゃ」は作詞・作曲が高田渡にクレジットされていたはずだから、これを「故高田渡氏が『銭がなけりゃ』という日本語詞で歌っていた」と言い切る解説には少々驚いてしまう。この表現を真にうけると、高田渡がパクリをしていることになり、著作権上大きな問題が発生するではないか。
 しかし、これは大した問題ではない。まず歌詞について言うと、たしかに原詞の翻訳に近い内容だが、ちゃんと日本用に編集し直されているし、曲についてはガスリーの曲自体がホーボーソングを原型としている可能性が高いから、ガスリー、高田渡ともアメリカのトラッドを元に変奏曲を考えたという見方ができるであろう。さらに高田渡を擁護するならば、「銭がなけりゃ」のほうが「ドレミ」よりもメロディックに仕上がっている。
 著作権上の問題はさておき、高田渡はここまでウディ・ガスリーに影響を受けていたのであって、その事実に改めて驚かされる。高田渡は死ぬ直前まで、ずっとウディ・ガスリーでいたい、と思っていたのかもしれない。ウディ・ガスリーのように生きて死にたいと。



  1. 2007/10/13(土) 19:04:27|
  2. 音楽|
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