
青谷上寺地遺跡で出土した遺物と建築部材を管理している鳥取県埋蔵文化財センター秋里分室に行ってきました。先週、実際に行ってきた遺跡から出てきた垂木やスギの大板などの建築部材、また当時使っていた大き目のスプーンのような道具(↓)を見て、当時の人びとは魏志倭人伝に描写されているように手で食べていたのではなかたのか、などと思った。たくさんの遺物を見て、青谷上寺地遺跡は本当に木製の遺物が多く発見されているんだなあと再確認できた。自分はデザイン学科なのでやはり建築部材が一番気になったわけなんですが、柱と思われるものや大量のスギ板などしっかりと形が残っているものがこんなにあったのだとよく分かった。

保存処理施設も見学した。PEGのタンクは埋蔵文化財センターの本館でみたタンクよりも大きく新しかった。女子学生たちは、「麺つゆの匂いだとか、みたらし団子の匂い」だと言っていた。施設見学後、秋里分室2階の整理室の片隅を借りて、今後の活動に関するミーティングを学生だけでおこなった。土器の野焼きをしたい1年生が2名、弥生時代の「食」を復元したい1年生が2名、衣服や編物の研究をしたい1年生が1名。2年生では、わたしが3・4年生と一緒に住まいの模型を制作することになり、もう一人のOさんは模型作りの手伝いをしながら、土器の野焼きにも参加することになった。
来週は1年の土器作り班2名と衣・食班3名が別々にパワーポイントを作ってきて発表することも決まった。
これから大忙しになっていくかと思うとつらいですが、頑張って弥生人の暮らしの再現ができたら面白くなると思うので応援よろしくお願いします。(^o^)v (環境デザイン学科2年U.K)

記者発表も迫ってきた。今日からエアポートがチャックの応援部隊に。上はさまざまな垂木を実測しているところ。
- 2007/10/26(金) 00:10:13|
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