平成19年度「復元住居維持管理検討会」のため
山田上ノ台遺跡を訪れた。仙台市「縄文の森広場」である。仙台に着いたのは昼すぎで、O所長の出迎えのあと、ただちにお蕎麦屋さんで昼食。東北地方におけるわたしの担当者はよく分かっています。
「あの人は蕎麦さえ食べさせておけば機嫌がよい・・・」
担当者泣かせで知られるわたしの懐柔策として「蕎麦」はまことに効果があります。この日の蕎麦も美味しかった。
「縄文の森広場」に到着すると、旧知のYさんの出迎え。こんどはズンダ餅とアンコロ餅とクルミ餡餅がでてきました。どうでもよいことですが、モスが夏期限定で販売するズンダモチシェイクのズンダの量はなぜあないに少ないのか。あれは詐欺ではないのか。数年前の3分の1以下の量でしたね、今夏のズンダは・・・

今回、指摘された問題点は以下のとおり。
1)強風を伴う大雨の際、雨漏りが発生する。
2)柱に虫食いが発生
3)床面にクラック発生
4)屋根土の流出
1)については、大雨の時のみ屋根から少量の雨漏りが発生するとのことで、棟と煙抜をブルーシートで覆うと雨は漏らなくなるという。したがって、雨は煙抜の窓と棟から内部に浸透してきていることになる。窓については仕方ないであろう。三角形の板でも作って大雨時に窓を塞ぐしかない。棟については、防水処理になお問題がある。山田上ノ台の復元住居については、業者が推薦したアメリカ(→註*)のデュポン社製ハイテクシートを使うことで高い防水性能が期待されていたが、その防水シートを紐で貫くという初歩的な施工ミスから漏水し、竣工後まもない平成18年6月20~23日に大修理をおこなった。最初に張った防水シート上にアスファルトルーフィングを敷き詰め、その上からもう一度デュポン社のハイテクシートで覆ったのだが、修理の記録写真をみる限り、棟はさわっていない。
その後、大雨時に雨漏りが発生したので、同年11月30日から12月初旬にかけて棟覆を解体し、デュポンのシートを敷き詰めている。ただし、このときにはアスファルトルーフィングを使っていない。以上の修理状況をみると、アスファルトルーフィングをデュポンのシートの下地として使っている一般部では雨が漏らず、使っていない棟の部分で、現在なお微少な雨漏りが発生していることがわかる。
デュポン社のハイテクシートは防水性と通気性を兼備する高性能のシートであり、施工以前から業者は自信満々であったが、こうしてみると、アスファルトルーフィングと併用しなければ、完全な防水性能を発揮できないと判断せざるをえない。ところが、アスファルトルーフィングを併用すると、ハイテクシートのもう一つの重要な性能である「通気性」が失われる。とすれば、デュポンのシートを用いる意義はないのだろうか。もちろん、ないことはない。多分に推測になるけれども、デュポンのシートが果たしている最大の功績は、その強靱さではないか。

↑2006年6月の修復。紐穴のあいたデュポン社シートの上にアスファルト・ルーフィングを被せているところ。さらにこの全体をもう一度デュポン社シートで覆った。 ↓2006年冬におこなわれた棟の修復。棟を覆うのはデュポン社シートだけでアスファルト・ルーフィングを使っていない(職員の証言による)。


ここで指摘しておきたいのは、以下の3点である。
<1>防水シートは2重にすべき。下は防水シート、上は破れにくい強靱なシートがよい。上のシートにソダ木等をのせると破れる可能性があるから、破れにくいシートを使うべきだということ。かりに上のシートが部分的に破れても、下のシートで雨漏りを防ぐようにする。
<2>通気性のあるハイテクシートを使っても通気の効果は期待できない。一般の屋根工事に用いるゴムアス(ゴム・アスファルトルーフィング)とゴムアスを保護する破れにくい強靱なシートを併用すべき。
<3>棟については、可能ならば、スティールか合成樹脂で屋根形をつくり、それを越屋根で隠すようにする。これで雨漏りはしなくなる。
柱の虫食いについては、防虫剤を塗布すべき。さらに燻蒸の際、窓や扉をすべて閉めるように指示した。床面のクラックは過度の乾燥がもたらしたものだが、コ字形の筵を敷いて、筵の下にクッションとなる枯草類を堆積させれば適度な湿気をよび改善されるであろう。屋根土の流出については補うしかない。
3棟の復元住居を視察した感想としては、非常に健全な状態にあるということ。棟を除く防水は完璧で室内は乾燥しており、毎日のようにおこなっている燻蒸によって、部材は黒くコーティングされている。短期間でよくここまで変色したものだと感心した。唯一の問題は棟の防水処理だが、それも建物に大きな打撃を与えているほどではない。大雨時には棟にビニールシートを被せることで当座は凌げるであろう。
逆にショックだったのは、O館長が北陸視察で撮影してきた富山市
北代遺跡の復元住居。修復していない2棟の土屋根住居は部材がすっかり腐り倒れんばかりになっている。なにかわたしに支援できることがあればよいが、財政が動いてくれない限り、2棟の修復は厳しい状況にある。どうしたら良いものか。
いまはすっかり状況が変わってしまった。復元住居の屋根・床・壁のすべてに「防水」の処置を施すのが常識となった。山田上ノ台の復元住居は、完璧ではないけれども、その一つの到達点を示す建物である。
註*当初の原稿では「フランスのデュポン社」としていたのだが、大学時代の友人K氏からメールでコメントを頂戴した。「デュポン社はアメリカの会社で、フランス革命の時にアメリカに逃げ出して創設した会社ですよ。日本デュポンは旧日本鉱業本社ビルに居ます。」とのこと。取り急ぎ、修正した次第です。Kさん、ありがとう!
- 2007/12/09(日) 02:14:43|
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