
中国時間の23日13時40分に広州の白雲空港に着陸しました。いや、よく眠ったんだけど、まだ眠い・・・のに、いきなり中国の洗礼を浴びたんです。5年半ぶりの訪中で中国もさぞかし進歩したんだろうと期待していたんですが、なんだ、ちっとも変わってないじゃないの!?
ガイドの女性の出迎えで、さっそく国内線のチェックイン・カウンターに移動し、手続きが始まったんです。ところが、カウンターのお姉さん(中国南方航空公司)が険しい顔して一言。
「パスポート番号が間違ってるわよ!」
えっ。みれば、わたしのチケットに登録されていたパスポート№が某准教授のナンバーになっている。どういうことかというとですね、准教授のチケットもわたしのチケットも、准教授のパスポート№で予約されていたのです。ここでガイドさん、大慌て。どうやら、限りなくバイトに近い新米のガイドさんらしいのだが、あちこちに電話しまくり、カウンターを動きまわるのですが、時間はどんどん時間は過ぎてゆく。
わたしたち二人はロビーのソファに腰掛け、
「鳥取の金ツリも、やることがいい加減だわな・・・」
「えぇ、国際交流サービスならありえないですよね」
なんて会話を交わしていたのです。
小一時間待って、ようやく問題はクリアされましたよ。原因は航空会社側の入力ミスとのこと。鳥取の金ツリのミスではなかったのです。まぁ、チケットが確保できて良かった、よかった。

外は雨。久しぶりの雨だそうです。まずは西漢(前漢)南越王博物館へ。南越国の2代めの王を埋葬する墓の覆屋と博物館です。上の地図をみていただくとおりでして、いまの両広(広東・広西)にあたる地域を南越国は支配していた。今回の連載のタイトルに使っている「粤」は「越」の同音異字です。広東はいまでも「粤」と呼ばれ、広東料理は「粤菜」と呼ばれる。
「粤」=「越」とは中原からみて、遠い遠い彼方の辺境を意味する概念であり、そこに無数の野蛮人(あくまで中原の民からみての「野蛮」ですよ!)がいた。それを「百越」というんです。南越は百越のなかでは圧倒的に文明化し、強大な王権をもつ帝国に成長していました。いや、この墓の副葬品はすごいですよ、とくに玉(ぎょく)製品がね。

南越王博物館を訪れるのは2度めのこと。1度目はたしか2000年だったような記憶がある。某研究所のM部長(後のM所長)とT室長(後のN女子大教授)と3人での旅でした。今回は案内のおじいさんがひどいんですね、関東の某帝国大学考古学系で博士号をとったとかなんとか、日本に行って十数年、女房(日本人)と息子を東京においたまんまだから来週帰国するんだとか、嘘かほんとか分からないような自慢話ばっかりして、おまけに日本語が下手で説明が全然聞き取れない。あまり愉快な見学ではなかったんですが、ひとつだけ収穫がありました。今夜は時間がないので、その収穫についてはいずれお知らせします。
- 2007/12/25(火) 00:00:55|
- 文化史・民族学|
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