早朝5時半におきて8時の飛行機に乗り、広州に戻ってきました。もうふらふらでしてね、今日は体力回復に努めたんですが、夕食のご接待をうけた後、熟睡してしまって、ちょっと日記を書く時間がありません。とりあえず、23日の「
収穫」についてお知らせしておきます。

23日に訪問した広州の南越王博物館では、「中国考古新発現」という特展をやっていて、陝西省靖辺県唐代楊会墓で出土した家形石棺が展示されていました。石棺の正面に描かれた中備(なかぞなえ)の蟇股(かえるまた)がおもしろい形をしています。一般的にこの時代の蟇股はいわゆる「人字形」なんですが、楊会墓石棺のそれは人字形から一歩進化し、雲形の絵様をつけて装飾的になってます。ちなみに横材が2本描かれてますが、下のほうが頭貫(かしらぬき)、上のほうが通肘木(とおしひじき)でしょう。頭貫上の中備を間斗束(けんとづか)として通肘木を支え、通肘木上の中備として蟇股をのせている。柱上の組物は省略ですね。
いちばん下の解説文をクリックしてほしいのですが、墓主の楊会(697-735)は則天武后時代(周)の人で、この石棺はかれの寝殿を模したものであろうと書いてあります。平城宮が栄えた奈良時代前半にあたる盛唐の時代の建築資料として大変価値の高いものですね。唐代建築の資料は皆無に等しい状況ですから、石棺の装飾と雖もきっちり精査しなきゃいけません(しなかったけど)。こういう資料の貴重さに気づく研究者があまりにも少ないことのほうに問題があるのかもしれませんが。


- 2007/12/26(水) 13:12:53|
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