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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

沙湾の町並み -南粤逍遙(Ⅶ)

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 26日の昼前に沙湾に着いた。まずは沙湾文化センターを表敬訪問。Kさんとは旧知の女性専門員に応対していただいた。広州には、町並みを保存して広州らしい風景と文化を残そうとする鎮(町)が10ヶ所あるそうで、沙湾はその代表的なエリアであり、この文化センターが行政的に管轄している。沙湾は町並みだけでなく、言語・文化においても、広州の伝統を強く継承している。Kさんからは地下鉄のなかで、

  「沙湾では北京語が通じませんから。今でも広東語しか使ってません。」

と教えられていた。はたして、文化センターで「標準語を使いましょう。そうすればみんなコミュニケーションできるんですよ!」という貼り紙を発見。

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↑何氏宗廟「留耕堂」(左)と道観「玉虚宮」(中央) ↓留耕堂の小屋組
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 古い街の入口で行商のおばさんたちが野菜や魚を売っていた。そしていきなり「観音頭」の民家を発見。Kさんは、こういう妻壁のデザインを「広東特有」な要素だと聞かされていたそうだが、「観音頭」は「馬頭墻」と並ぶ江南民家の象徴的な妻壁デザインであり、おそらく江南から嶺南へ伝播してきたものだろう。
 沙湾地区で最も多い宗族は何氏。姓が「何(ホー)」の一族である。その何氏の宗廟「留耕堂」(広東省文物保護単位)をまずは訪れた。四合院形式の3進(3ブロック)タイプ。小屋組は華北の抬梁式を広東風に派手にしてもので、挿肘木(さしひじき)を多用している。南方の穿斗式構法でないのは不自然にみえるが、寺廟・宮殿建築では壁付き(あるいは壁内)部分だけ穿斗式にして中間部はすべて抬梁式にするのが一般的だ。ベトナム北部の寺廟の構法と似ていないとは言えないが、決定的に異なるのは登り梁をまったく用いていないこと。ベトナム建築には登り梁の技術がよく残っていて、そこに中国南部の穿斗式構法が重層的に被ってきているのだが、広州や福建の漢族建築には登り梁らしき材が一切存在しない。登り梁を使うのは、おもにタイ系(チワン・トン語族系)の少数民族であり、登り梁の短縮形が大仏様の遊離尾垂木であるとみるわたしの仮説が正しいならば、重源(と陳和卿)はどこでその登り梁をみたのだろうか。宋代の福建には、まだ登り梁が残っていたのだろうか。

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 文化センターのレストランで昼食を食べた。わたしはワンタン麺。なかなか美味しい。ビールも少しだけ飲んだ。ちと酔っぱらったので、文化センターで休ませていただいていたところに、沙湾の郷土史に詳しいご老人があらわれた。いきなり「北京語は話せませんよ」と言われたのだが、某准教授は広東語が母国語であり、Kさんも広州滞在3年あまりで沙湾地区で調査経験もあるから広東語もそこそこ分かるらしい。要するに、わたしだけさっぱり聞き取れないわけで、午後からこのご老人が案内してくださったのだが、わたしは建築の観察に集中した。

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 沙湾にはたくさんの歴史的建造物が残されている。そのほとんどが清末~民国時代の遺産。民家だけでなく、廟や道観も多い。残念なことに民家は空き家が多く、ほとんど中に入れなかった。中国の民家は解放後、集合住宅になった。1950年代から80年代まで、新しいアパートを建設する経済力が共産党中国にはなかったので、すべての民家を集合住宅として核家族に部屋を振り分けたのである。わたしは江南の調査時に政府が配布した「房地産所有権証」という書類を閲覧し、撮影した経験がある。それは大型の住宅を10以上の家族に分配することを示した文書であった。あのころの中国の町並みは素晴らしく、どこに行っても重要伝統的保存地区に選定されうるだけの景観が残っていたが、その内部では人民が悲惨な居住環境に悩んでおり、まもなく町並みが崩壊し始めるだろうと予測した。はたして、都市の歴史遺産である民家は次々と取り壊され、中国の町並みは大きく変貌していった。
 しかし、そういう「現代化」の動きが急速であればあるほど、「町並み保存」の動きも先鋭化する。ここ広州でも、だからこそ10ヶ所の鎮(町)が保存地区の候補として種々の調査が始まっているのである。中国の場合、まずアパート化した民家の住民に引っ越してもらうことから町並み保存がスタートする。民家に住む多くの住民に本物のアパートに移り住んでもらい、空き家になった民家を修復し公開するという手法が一般的なはずである。沙湾の実態がどうなのか、よく知らないが、大半の民家に鍵がかかっているということは、そういうことなんじゃないか、とわたしは思った。

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 沙湾の町並み保存の整備はまだあまり進んでいない。ただし、歴史的なストックは十分ある。きちんとした修理・修景をおこなえば、広州有数の観光地として蘇生する可能性が高いであろう。華南理工大学のグオ先生が保存計画を考えたそうで、これからどう展開するのか注目の的である。
 わたしが中国各地の民家と比べて、とくに注目したのは「蠔殻墻」。牡蛎の殻を外壁に積み上げたもので、古老によれば、「冬に温かく、夏に涼しい」という。わたしは、そういう機能的な解釈にはあまり賛同できない。「蠔殻墻」はステータス・シンボルではないか。

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 夕方は広州の中心市街地に戻り、潮州料理のご接待をうけた。前夜はワン先生、今夜はグオ先生主催の晩餐会である。わたしたちは、何度もわたしたちが接待すると主張したのが先方は許してくださらなかった。とても美味しい海鮮料理であった。白酒とワインも上等なもので、ついつい飲み過ぎてしまい、わたしはソファにバタンQ・・・
 二夜連続でとても楽しい交流ができた。素晴らしい先生方とたくさんお話ができて嬉しく思う。
 5年半ぶりに中国を訪れた甲斐がありました。ワン先生、グオ先生、Kさん、ほんとうにありがとうございました。必ず恩返しさせていただきますよ!


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↑↓武帝古廟は「学問の廟」。科挙合格を祈願する。この塑像は、なんでも勉強しすぎていじめられ顔がおかしくなったとかなんとか、詳しいことは某准教授に聞いてください。
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  1. 2007/12/30(日) 02:05:04|
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