FC2ブログ

Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

24時間中国一周(Ⅱ)

1月10日(木): (米子)→松江20:31 ~ 11日(金)松江11:23→

 松江で予約していたホテルは1泊2食付きということになっているが、チェックイン時に夕食券が必要かどうかを問われる。外で食事する客も少なくないからだ。わたしも米子の「夢」でクジラの竜田揚げと大山蕎麦をたいらげている。だから、もう夕食はいいだろうとも思うのだが、せっかくの夕食券を「要りません」というのももったいない。夕食券を受け取り、カレーセットを注文した。とりあえずカレーは食べたのだが、おかずのコロッケを残してしまった。
 部屋に入り、テレビをスイッチ・オン。鳥取の家にはアンテナがないので、衛星放送以外の番組をみることができない。おかげで最近、民放のくだらないバラエティ番組を新鮮に感じるようになっている。その手の番組をみながら満腹感で眠りに落ち、目覚めたら深夜の11時半。しばらく眠れるはずもなく、またしても、ちょいとそこまで、遊んできましたよ。

20080113034539.jpg

 11日は8時起床。朝食後、8時40分にチェックアウトした。県文化財課お二人のお迎えで「八雲立つ風土記の丘」へ。ここに8世紀の庶民住居を復元することが急遽決まった。「八雲立つ風土記の丘」に8世紀の建物を3棟復元しようという構想がもちあがったのは環境大学開学の翌年、2002年度のことである。開学2年目なのだから「研究室」が存在するはずもなく、さてどうしたものかと悩んでいたのだが、2級建築士資格を取ったばかりの社会人入学生がいて、「バイトでやってみるかい?」と訊いたら大乗り気で、夏休みにその学生を指導しながら設計を進めていった。
 基本設計を終え、2003年度に島根県の住宅供給公社が実施設計を進めていった。すべての図面と仕様書が揃ったのだが、まもなく出雲古代歴史博物館と併行して進められていた古代文化センターの構想が頓挫してしまう。センターの屋外展示の一部として風土記の丘に建設されることになっていた3棟の復元建物の計画も中止の憂き目にあってしまった。地方財政の厳しさを噛みしめたものである。古代文化センターの構想は依然宙に浮いたまま実現の目途はたっていない。しかし、復元建物1棟の建設だけが決まった、という知らせが昨年末に突然届き、担当者が大学まで挨拶に来られた。
 今回は建物がたつ「八雲立つ風土記の丘」で、関係者全員が集まっての最初の打ち合わせである。正直、「しんどいな」と思っていた。ただでさえ忙しい年度末に復元建物が着工し、年度内に竣工するのである。その設計者がわたしであり、施工管理に携わらなければいけない。仕事が一つ横から割り込んできたようなものだ。年末に表敬訪問を受けたときには、図面をみて「直したい」と思うところが多々あったけれども、実施設計図をみても「まぁいいや」という諦観のほうが先にたった。

20080113035058.jpg

 模型をみて、その気持ちが変わった。設計に携わったころ、青谷上寺地建築部材の研究はほとんど進んでいなかった。しかし、ここ2年ばかり、青谷上寺地部材の研究が飛躍的に進み、弥生建築の先進性を思い知らされている。このままだと弥生建築と奈良建築の差異を表現できないことを実感し、いきなりいくつか修正の指示をした。とりわけ束立の小屋組があまりに不安定なので、鳥居組を採用するようにお願いした。あとは扉口や窓などの開口部も気になっている。
 建物がたつ敷地の景観はみごとなものだった。遠景に神奈備山、近景に古墳。いかにも「神の国」出雲という雰囲気が充ちている。ここに小さな桁行3間の建物を建てて、この神秘な景観をいっそう向上させることができるのかどうか、不安なところもあるが、やりがいのある場所だと思った。次回はこの現場に原寸の材料を並べることになる。
 
20080113035319.jpg
 ↑材料サンプル(小舞などに使う雑木)


 とても驚いたことがもう一つある。かつて文化課長をされていたKさんが「八雲立つ風土記の丘」の嘱託として勤務されており、協議の場に同席されたのである。Kさんと初めてお目にかかったのは1993年のこと。その年、わたしは平城宮造酒司の発掘調査をしていて、平城宮で2番目に大きな井戸を掘りあて、結構マスコミを賑わせていたのだが、その現場をKさんが見学に来られたのである。その後、2000年に出雲大社境内遺跡で大型本殿跡が発見されたときにもただちに声をかけていただいた。あのときわたしは第1次大極殿跡の再発掘調査をしていて、その現場から大社の現場まで車を飛ばしてはせ参じたのであった。その後しばらくして退官され、すでに5年がたつという。わたしと再会するのは、だから5~6年ぶりということ。
 新装された展示をみせていただきながら、「歩け、あるけ、アルケオロジー」の状況をお聞かせした。「いま学生たちが、自分で焼いた土器で赤米を炊いているんですよ」とお話すると、「赤米ならうち(風土記の丘)で作ったものがありますのでもってください」ということでお土産に頂戴してしまった。赤いモチゴメである。今月22日の発表会に使わせていただきます。
 ありがとうございました。

20080113040612.jpg
↑平所遺跡の馬形埴輪と家形埴輪


  1. 2008/01/14(月) 00:27:04|
  2. 史跡|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
<<24時間中国一周(Ⅲ) | ホーム | 24時間中国一周(Ⅰ)>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://asalab.blog11.fc2.com/tb.php/1266-d2176de7

asa

05 | 2020/06 | 07
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

Recent Entries

Recent Comments

Recent Trackbacks

Archives

Category

Links

Search