8月24日~25日: 関西空港→香港→ロンドン→エジンバラ 香港で英国航空公司(British Airways)の28便に乗り換えてから、もう11時間経過したのだが、まだ機内は真っ暗で、大半の乗客が眠っている。わたしの席のまわりに陣取るのは、台湾の女子大生20人。
ボーディングの時、彼女たちはなかなかうるさかった。
「あんたの席は、そこじゃないよ、反対側だよ」
「だって、こっちから行けない。遠回りしないと・・・」
とてもきれいな北京語をしゃべるので、隣に座った一人に、
「大陸の方ですか?」
と尋ねた。すこし不審そうに、わたしをみつめた後、彼女は答えた。
「台湾です。」
そうか、台湾人はたしかにきれいな中国語をしゃべる。
香港人は、香港が中国に返還される以前、北京語を話すのをとても嫌がった。広東語をしゃべるかれらにとって、北京語は外国語でしかなかったのである。だから、北京語で質問すると、とても嫌な顔をして、英語で返事をくれたものだ。
ところが、香港返還後、中国政府は香港人に北京語の使用を強制した。だから、香港でもごく普通に北京語が通用するようになったのだが、香港人のしゃべる北京語には広東語訛りが強く、大陸の人ではないことがすぐに分かってしまう。一方、台湾人の北京語は美しい。長かった国民党支配の申し子である。
隣に座っている学生と話がはずんだ。
「倫敦(ロンドン)に行くの?」
「いいえ、西班牙(スペイン)です。ロンドンは乗り換えだけ。あなたは?」
「わたしも乗り換えでね、蘇格蘭(スコットランド)に行くんです。」
「なんのために?」
「仕事ですよ。あなたは?」
「スペイン語を学ぶんです。」
「巴塞隆納(バルセロナ)、それとも、馬徳里(マドリード)?」
「いえ、Valladolid(バリャドリッド)という小さな町です。」
「あぁ、知ってる、サッカーのチームがなかなか強いんだよ。」
「サッカーは見ないけど・・・」
「期間は?」
「1年間」
「へぇ、そりゃ帰りたくなくなるよ。」
「いえ、もう帰りたいの。家族が恋しい。台北の空港で泣いたんです。」
彼女たちは、台中にある静宜大学西班牙語系の3年生。話をした学生さんは徐さんという。アイマスクをして、熟睡中。
BA28便は予定通り、英時間の早朝6時20分、ヒースロー空港に着陸したのだが、そのまま全然動かず、7時を迎えてしまった。エジンバラ行きのBA1434便は7時50分発だから、心配になって、スチュワーデスに助けを求めるのだけれど、
「遅れたら、次の便があるわ」
という素っ気ない返事がかえってくるばかり。
これを救ってくれたのは、同じBA1434便のチケットをもっていたオランダ国籍の華僑の青年だった。かれは飛行機が扉を開けるなり、迅速に駆けだしていった。わたしは、かれを懸命に追いかける。途中、手荷物検査で長蛇の列ができていたが、これも係員と交渉して突破し、入国検査を済ませた。こうして、ボーディングの〆切時間に指定されていた7時半すれすれに、飛行機に滑り込むことができた。心配なのはラゲッジだったが、無事、エジンバラ空港で受け取った。中国系オランダ人の青年に感謝!
- 2005/08/25(木) 12:10:00|
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