『史記』を読んで滅入ってしまった。
この国に生まれて『史記』を通読する人が今いったいどれぐらいいるだろうか。わたしが『史記』を最初に購入したのは20代の半ば、北京に留学していたときだ。いちおう中国の歴史を学ぶ大学院生の端くれとして二十四史ぐらいはそろえようと、王府井の中華書局に通い、少しずつではあったけれども正史を買いためていった。いうまでもなく、『史記』はそのトップバッターである。
で、中華書局本を読んだのか、なんて馬鹿げた質問をしないでください。読めるわけがない。結構なプロでもすらすらとは読めないでしょう。だから、たしか平凡社から出ていた和訳本も買った。
で、和訳本を読んだのかって、読むはずないですね。何度か読もうとしないことはなかったのだが、とても睡眠薬代わりの愛読書となるような代物ではなく、これもまた本棚の飾りと化したまま。
じゃぁ、どの『史記』を読んだのかって、言わずとしれた横山光輝本です。漫画の『史記』を読んで滅入ってしまったのだ。殺戮と権力闘争の繰り返しに辟易し、たまらない気持ちになる。戦い続けた武将たちも苦しかっただろうが、読む側も辛い。アマゾンを経由して各地の古本屋から各巻を買い集めているので、『史記』と『徳川家康』が時間差攻撃のようにして手元に届くのだが、家康という人物の寛容さと器量の大きさにはただただ圧倒され感心させられる一方で、『史記』を読めば読むほど気持ちが暗くなる。
春秋戦国の乱世から劉邦(高祖)~武帝の漢代まで、よくもまぁこれだけ人を殺せるものだ。40万人生き埋めなんて、へっちゃらですよ・・・中国では人命など塵芥にすぎないのか、と嘆きながら、毛沢東の残虐ぶりを思い出した。中国の歴史を知らずに『
マオ』を読めば、毛沢東の異常な残忍さに吐き気さえもよおしてしまうが、こうして『史記』を読んでから『マオ』を読めば、なんだ中国史では昔からこうなんだ、と納得してしまうから恐ろしい。
いま日本はこの恐ろしい国と向き合っている。ひとつは餃子問題。もうひとつはサッカーの東アジア選手権である。今日の夕刻、日本対中国のホイッスルが鳴る。会場は重慶。3年前のアジア杯で、日本チームに大ブーイングを浴びせ、スタンドからペットボトルを投げ入れたスタジアムである。昨日の報道によれば、日本対北朝鮮でのブーイングも大変なものであったという。
2日連続で述べたように、今回の日本代表チームは決して強くない。だから、中国に負けるかもしれない。中国は日本に勝てば大喜びするだろう。対して、日本はアウェーで中国に負けたってなんてことはない。たかが東アジア選手権(一昔前のダイナスティ・カップ)ではないか。
問題はオリンピック本番だ。ここではなんとしても一泡ふかせたい。北京オリンピックが中国の金メダルラッシュとなるのは間違いなかろう。ただ、唯一、中国が劣等感をもっている競技がサッカーであり、サッカーで負けてしまうと、いくら他の競技で金メダル漁りをしたとしても、あの国は意気消沈してしまう。それだけ、サッカーが好きな国民性によるのだが、今回は本番のための手探りだと思えばいい。できるだけ多くの情報を今宵の試合で拾いあつめたい。負けてもかまわないが、そういうゲーム運びになることを祈っている。
- 2008/02/20(水) 00:38:54|
- サッカー|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0