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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

京・近江の古建築を訪ねて(Ⅰ)

 実に10年ぶりの京都である。たしか前回訪れたのは小学校のときだ。当時ではお決まりの奈良・京都の修学旅行コース。最近では沖縄、北海道、韓国だとか…。ふと思いかえると、当時の私は古建築にさほど興味はなかった。奈良の大仏・大仏殿をよそに、柱の穴をせっせとくぐり、京都の街並みよりも岡崎動物園の動物たちを見ては、ひたすらテンションを高くしたことを覚えている。
 今思えばちょっぴり恥ずかしいが、そんな小学生だった。そんな私が古建築に興味を持ったのは、岡崎動物園の後に訪れた清水寺で、清水焼の湯飲み茶碗に絵付けをする体験をしたときだ。とくに描きたい絵もなかった私は、思い出にと清水寺本堂の絵を描いた。が、ろくに見てもいないのに想像で描くのは予想以上に難儀であった。しぶしぶ清水寺のパンフレットを開いて真似たが、完成は誰よりも遅かった。さすがに小学生だけあって上手とは言い難い作品だが、細部には特に気を使ったことを覚えている。このとき初めて古建築が面白いと思った。あの舞台の下の組み物はどうなっているのか、複雑な屋根はどんな造りになっているのだろうかと疑問を胸に、ただただ絵筆を走らせていた。それが私が建築を学びたいと思ったきっかけである。
 今週の日曜日から大学の集中講義で、京都に2泊3日の研修旅行が催され、偶然にも再び京都を訪れた。残念ながら清水寺はコースには組み込まれていないが、古建築を学ぶことを志した起点だけあって、久しぶりに訪れると昔のことをふと思い出す。大学に入学後、まだ駆け出しではあるが建築について学んでいる。今回は、あのころの疑問を、自分の「目」を通して解く旅としたい。初日は「鹿苑寺夕佳亭」と「大徳寺、高桐院(向松軒)・大山院」の2箇所を見学した。

鹿苑寺夕佳亭
 鹿苑寺金閣の東北方に位置する茶室。明治元年に焼け同7年(1874)に再建されたものである。金森宗和好みで成ったと伝えられる。「夕日に映える金閣が殊に佳い」ということから「夕佳亭」と名付けられた。外観は寄棟造茅葺屋根で妻入りである。前面に開放された土間を取り、そこに竈土(クド)を設ける。土間に面して三畳敷の茶室があり、西南に45度ふって二畳の上段の間が接している。おそらく草庵の小座敷と同様に狭く低い空間と、高くそびえる土間空間を開放的な出入り口で結ぶことにより、狭い茶室というイメージから寛大な空間を感じさせるのだろう。三畳敷の茶室内は、ノネ板張天井で、床の間は蹴込床で、床柱は南天の曲木を用いる。上段の間は、三方とも明障子と板戸を立てる。天上は確認できなかったが、配布資料の写真から網代張天井とみえる。

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大徳寺高桐院(向松軒)・大山院
 高桐院「向松軒」の建築物には客殿・書院・庫裏などがある。書院は千利休居士の邸宅を移築したもので、この書院に続いて二帖台目の茶室「向松軒」がある。「向松軒」は寛永5年(1628)細川幽斎公の長子忠興三斎公の手で建立されたものである。「常に松声を聞き且つ趙州無舌の茶味を嗜む因って松向と名づく云々」ということから「向松軒」と名付けられた。外観は切妻造檜皮葺屋根で妻入りである。東側に水屋を結合するが、給仕口を北側に設けることで客席から直接水屋が見えないようにしている。床の間は框床だが、入室厳禁のため床柱の木種は確認できず。茶室内の天井はノネ板張天井で、給仕用の間は網代張天井とする。腰壁は、点前座のみにあり客席には無い。茶室に珍しい黒壁は瞑想の場の感あって、簡素な中にも幽斎の雅味をたたえた名席といわれている。

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 大山院は大徳寺北派の本庵として、永正6年(1509)に六角近江守政頼がその子古岳宗亘を開祖に創立した禅寺である。本堂は、日本最古の方丈建築遺構とされ、国宝である。現在、屋根葺替え中のため素屋根で覆われており確認はできなかったが、縁側に展示している剥がした屋根の葺材からして、銅板葺(下地は檜皮葺か?)で、葺替え前の写真から入母屋造とみえる。本堂は6間からなり、北側には中央に仏間、西側に衣鉢間、東側に大書院を配す。南側には中央に室中を配し、天井は鏡天井で床は板張とする。また西側の壇那間・東側の礼間は根太天井で床は畳敷である。室中と壇那間・礼間を筬欄間で仕切り、上部を蟻壁にする。本堂の柱はすべて面取角柱とし、これらを建具で仕切り、室内は襖を立て、側面は舞良戸を立てる。室中正面の入口は藁座を設け桟唐戸を立てる。また室内、側面ともに長押を通している。本堂の四面に鶯張の縁をめぐらせ、南側を広縁とし落縁を設ける。この本堂の東に有名な石庭があり、手前に大きな船形の石「宝船」と「牛」の石を置き、奥にやや小さめの山形の石「比叡山」を配し、遠近法を用いて表現されている。この庭を南北に分断して花頭窓、腰掛付きの小廊下をかける。

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 初日、とにかく大学で学んだことから注目した。おそらく間違いや、おかしな表現も多いであろう。はたしてこの旅は自分の成長できる糧となるのだろうか。そんなことを考えながらも、初めて聴く鶯張の縁の音は、私の心を少しだけ10年前の少年期に引き戻した。(Mr.エアポート)

  1. 2008/02/21(木) 00:17:07|
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