研修旅行2日目。この日は無鄰菴(京都市左京区)→南禅寺金地院(京都市左京区)→曼殊院(京都市左京区)→居初邸(大津市本堅田)を回りました。初日のMr.エアポートのようには説明できませんが、まずは午前中に回ったところを紹介。
無鄰菴 無鄰菴は明治27年~29年に明治・大正の元老、山県有明が京都に造営した別荘です。建物は木造2階建の母屋、レンガ造2階建の洋館と藪内流燕庵を模したという茶室の3つがあります。洋館は明治31年に建てられましたが、2階の壁面に江戸時代初期の狩野派の金碧花鳥図障壁画が飾られている部屋があります。ここで、明治36年に伊藤博文や当時の総理大臣・桂太郎らと会議を開いたこともあるそう・・・。この部屋は、花鳥文様の格天井や椅子、テーブルなどの家具によって、当時の雰囲気が残されていました。
また、無鄰菴はその敷地の大半が庭園です。これは有明自らの設計・監督により、造園家の小川治兵衛が作庭したもので、東山を借景として緩やかな傾斜地の庭に琵琶湖疏水を取り入れ、三段の滝・池・芝を配した池泉回遊式庭園です。
ただ、残念なことに母屋や茶室の屋根の改修中だったり、雪が降り積もっていたりと、写真で見るような風景は見られませんでした。それでも、静かに雪の降り積もる庭を奥から見渡したときには、庭のスケールの大きさを感じ、有明の庭に対する思い入れを思い知らされるようでした。
南禅寺金地院 南禅寺金地院は、応永年間に大業和尚が足利義持の帰依を得て北山に開創した禅寺であり、慶長の初め崇伝長老が南禅寺塔頭に移建して現在に至ります。建物は方丈・開山堂・東照宮などがあり、方丈の南側には鶴亀の庭園があります。このうち、方丈・東照宮は重要文化財で、鶴亀の庭園は特別名勝です。
方丈は伏見城の遺構と伝えられていて、内部は狩野探幽・尚信兄弟の筆と伝えられる襖絵があります。南側の縁からは庭園が見渡せます。この鶴亀の庭園は、小堀遠州が直接指導して作庭した確実な証拠を残す庭園です。前面の白砂は宝船と海洋を同時に象徴しています。その向こうの大きな長方形の平面石は東照宮を拝むための石で、その左に亀島、右に鶴島があります。開山堂に続く、半円形に並んだ飛石はまっすぐな石と45°にふった石とが交互に並んでいて、見ていて心地良いリズムだと感じました。
開山堂は方丈の南西に位置します。内部の左右両側には十六羅漢像が安置してあります。また、内部の石敷きは45°の向きになっていましたが、引率の先生から不揃いなのを隠すためだと聞き、改めて見ると確かに一つ一つが大きさが違ってラインが揃っていない事が分かりました。目の錯覚をうまく利用しているなぁと思いました。
開山堂の南には東照宮が位置します。建物全体が漆で黒くなっていますが、長押の上の方に鮮やかな色の模様が入っていました。また、拝殿・石の間・本殿からできていて、京都では唯一の権現造です。
建物は全体的に禅宗様でしたが、一部長押を使うなど和様も見られました。
南禅寺三門 金地院を見学したあと、次の出発時間まで余裕があったので、同じ南禅寺の三門の見学もしました。南禅寺の三門は天下竜門と号し、上層の楼は五鳳楼といいます。三門の柱はとても太く、二人で手を回してようやく届くほどでした。楼へは左右の山廊から昇降出来るようになっていますが、今は正面向かって右側からしか登れません。階段はとても急で登るのも降りるのも怖かったです。
ぐるりと縁が回っているので、楼を一周してみると縁の外側の方が少し下がって斜めになっていました。もとからなのか、それとも下がっていってしまったのかと、少し疑問に思いました。

午前中は雪が降っていましたが、次第にやんできて午後には晴れていきました。そして、この日の午後には茶室を見て大興奮でしたが、それはまた続きで。(部長)
- 2008/02/22(金) 00:44:06|
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