
一日中、ホテルにいた。今日はバリのお正月で、全島で外出が禁止されている。町をぶらぶらしようものなら、警察に訊問され、家に連れ戻されるという一日なのである。
昨夜デンパサール空港に降り立ったのが23時半(日本時間の0時半)。およそ1時間後に出国手続きを終え、迎えのミニバスに乗った途端、パスポートが手元にないことに気が付いた。換金所に置き忘れたに違いなく、きびすを返して取りに戻ると、税関の役人が待ちかまえていた。これはラッキーだ、だれかに盗られていたら、調査も観光もあったもんじゃない、と胸をなでおろしていたところに、ガイドが言う。
「あしたはバリのニェッピだからね。どこにもでられなませんよ。町をじゃらん
じゃらんしているだけで、警察に捕まりますから、ホテルのなかで大人しく
していてください。」
そんなバナナ。ライステラス(棚田)か、キンタマーニ火山か、ブギス寺院か、さぁどこから攻めよう、と思案をめぐらしていたところに先制パンチを頂戴してしまったのだから、あいた口がふさがらない。

バリと言えば南国の楽園でのビーチリゾートと羨ましがられるかもしれないが、今回わたしがめざしたのは北部の山岳地帯で、国立公園クラスの自然名勝地、ヒンドゥ教総本山を初めとする多くの山岳寺院、棚田などの文化的景観が集中するエリアであり、ウブドはその観光拠点ともよぶべき田舎町である。小さな島なのに、空港から1時間もかかる。
深夜の2時にホテルについた。バンガロー形式の質素なホテルである。
部屋に入ると、テレビもなく、むろんインターネットなど使えるはずもない。テーブルの上にマネージャーが全客室に配布した英文の置き手紙を発見した。そのタイトルを示す。
Nyepi (ニェッピ)
a Balinese New Year (バリの新年)
a day of absolute stillness (絶対的静寂の一日)
日本に新暦(太陽暦)と旧暦(太陰暦)があるように、バリにはサカ暦とウク暦があり、今年は3月7日がサカ暦の元旦だというから、わたしはよほど恵まれた人物なのかもしれない。大晦日は悪霊を追い出すためにオゴオゴと呼ばれる山車が島中を駆けめぐり、ゴンやシンバルの音楽で大騒ぎになる。とすれば、わたしが到着する直前までバリは喧噪なフェスティバルで賑わっていたわけだ。
年があけて、島は静寂に包まれる。この日、すなわち新年の初日には、まず火を使ってはならない。灯をともしてもいけない。働いてはいけないし、家の中にいなければいけない。だから、島中の町と村がゴーストタウンのように閑まりかえる。

↑ホテル周辺はゴーストタウンのよう

火を使えない、ということは、食事を作れないということだから、ヒンドゥ教徒たちは断食して身を浄めているのかと思ったが、訊ねてみると、前日までにオセチを作っておくのだそうである。
さすがに外国からの訪問客にまで火を使わないわけにはいかないが、元旦には外に火=灯が漏れてはいけなので、ロビーに近いレストランは封鎖され、いちばん奥のプールの脇にあるカフェ・スペースがレストランに変わった。ここで朝・夕・晩の3食をとった。あとはどうすべきか。だれかをエスコートしていれば、こんな1日でも退屈ではなかろうが、なにぶん一人旅につき、時間がありあまった。西欧からの旅客は余暇の過ごし方をよく知っている。ここは見倣うしかない。かれらはプールサイドでのんびり読書し、まれにスウィミングをして1日をすごす。レストラン前のプールはすでに西欧人に占領されていたが、自分のバンガローの前にもプールがあって、わたしはそこに陣取った。いちど泳いだ。
関空で4冊の文庫本を買い込んでおいて良かった。奈良の自宅に届いていた横山光輝の『チンギス・ハーン』をリュックに詰め込んではいたのだが、近鉄・南海・関空で2巻まで読み終えてしまっていた。だから、文庫本を買わざるをえなくなった。それにしても、最近は文庫本もたかくなり、4冊しか買えない自分が情けなかった。それでも買っておいたおかげで、無為な時間が快楽に変わるのだから有り難い。
時間は速く進んでいった。昨夜のJAL便からずっと司馬遼太郎を読んでいた。久しぶりの司馬遼太郎である。『軍師二人』と『ペルシャの幻術師』という2冊の短編集。いや、おもしろい。司馬遼太郎の作品はこれまでたんと読んでいる。すでに読む作品すらなくなったと思っていたのだが、全集でしか読めなかった短編が少しずつ文庫本化され始め、またこうして人間をみつめる深いまなざしに接することができた。とくに意識したわけでもないのに、横山光輝の歴史漫画との接点が多い短編ばかりで、自分でも呆れてしまった。忍者、幻術、軍師、関ヶ原、チンギス・ハーン、西夏、ウィグル、そして男と女。司馬遼太郎がこれほど性描写に長けていたことを意外に感じながら、しかし、息を呑んで書を読み進めていった。

昼食後、レストランの脇にある高床式の四阿(↑右)に移って『ペルシャの幻術師』を読んでいると、まもなく眠りに落ちた。小一時間で眼がさめた。そこに、大雨が降ってきた。午前の青天とはうって変わったスコールである。それは通り雨というには、あまりにも長く大降りの雨だった。そんな大雨に驚きながらも、四阿の時間は快適だった。雨は四阿を犯さない。わたしは再び『ペルシャの幻術師』に嵌り込んでいった。最後から2番目の「飛び加藤」という作品が最初から気になっていたので、真ん中を飛ばして先に読んだ。横山光輝の忍者物に何度も出てくる「飛び加藤」は史料に残る数少ない忍者だったんだ。飛び加藤は幻術使いであり、その術をもって上杉謙信に仕官しようとした。ところが、その術の怖さ故、謙信は飛び加藤を殺そうとする。しかし、飛び加藤は幻術でその場を逃れ、甲斐に逃げる。甲斐では武田信玄に仕官を申し出る。信玄は賢く、加藤を鉄砲隊で蜂の巣にしてしまう。
飛び加藤以上の幻術使いが「果心居士」。バラモン人の末裔という設定で、密教系幻術の達人。この人物の史料も豊富に残っているらしい。筒井順慶と松永弾正を翻弄しつつ、最後は秀吉に幻術を披露している最中に大峰山の修験者に斬殺される。
ここにいう幻術とはマジック(奇術)と集団催眠が複合したものなのだろう。『水滸伝』にも『殷周伝説』にも、多士済々な妖術師・幻術師が登場する。たいていの場合、かれらは神仙で修行する道士である。日本の修験道と相通ずるところがあるわけだが、『ペルシャの幻術師』の解説者によると、その源流はインドのバラモンを超えて、ペルシアのゾロアスター教にまでたどり着く可能性があるという。
- 2008/03/07(金) 23:54:17|
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