
ブギス寺院からキンタマーニ火山まで、車は斜路をうねりながら下りたり上ったりした。雨はどんどん強くなっていく。それでも、バトル湾とバトル山を望むビューポイントにたどり着いたときには、うっすらとではあるけれども、まだ山影と湖面を覗うことができた。
1996年、わたしは初めてカラオケで「金太の大冒険」を聞いた。修士課程に進学したばかりの女子学生がてらいもなく歌う姿に抱腹絶倒し、以後、恥知らずにも、自らのレパートリーに取り入れたのであった。鳥取に移ってからも、2期生の「北から来たの」さんや西河♀さんの前で歌うとバカ受けして気を良くしていたのだが、3期生の歓迎会でやったら大すべり。モリさんやアッコさんは困ったような顔をして、しばらく沈黙の時が流れた。
バリ島が世界に誇る火山は「金太の大冒険」のネタにはなっていない。なってもよいはずなのに、なっていないのはキンタマーニという火山の名前があまり知られていないのと、名があまりに直截すぎるからであろう。じつはキンタマーニという地名は、火山の名ではない。運転手の言に従うならば、それは村の名前であるという。山の名はバトルという。バトルは巨大なクレーターをもつ活火山で、その噴火によってバトル湖が生まれた。バトル山頂の標高は1745m。大山とほぼ変わらない。ただし、バトル山はバリ島の最高峰ではなく、その東方に聳えるアグン山(標高3142m)が最高峰で、こちらは富士山には劣るが北岳クラスの高峰である。バリ・ヒンドゥ総本山のブギス寺院はアグン山の中腹に境内を構えている。


湖上レストランに入るころ、雨は大降りになっていた。運転手は「いまにやみますよ」と楽観的だった。ここはじっと待つしかない。バイキングが並ぶテーブルと座席をなんども往復して、それぞれの料理をゆっくり咀嚼した。珍しくデザートもたくさん食べた。そのなかに、黒米ぜんざい(↑)が含まれていた。昨年のプロジェクト研究2で弥生食を復元した際、練習では3回も白米:赤米=7:3の比でお粥を炊き、好評を博していたにも拘わらず、発表会の当日、四国から渡来してきたタブチ君は、八雲立つ風土記の丘で頂戴した
赤米100%で炊飯してしまったのであった。できあがったお粥は、色だけみると、小豆の粒をたんと含むぜんざいであり、おそらく目出度い日の祝いには砂糖を混ぜて食べたに違いない、といういい加減な推測をしたのがつい一月半前のことである。米は赤から黒に変わったけれども、わたしが思っていた甘い米汁が目の前にあって、じっくり味わった。そして、またしても思ったのである。善哉の起源は古代の赤米か黒米のお粥に砂糖を足したものに違いないと。
黒米のぜんざいを食べ、フルーツも食べ、珈琲と紅茶の両方を飲んではみたが、雨の勢いは一向におさまらない。山影も湖面もまったくみえなくなっている。わたしはあきらめて、チェックをお願いした。
生まれてこのかた、何度もこういう経験をした。そもそも伯耆の国では滅多に大山の威峰にお目にかかれない。河本家住宅の報告書を作成していたころ、最後にどうしても大山を背景にした箆津集落の写真が必要だと思うに至り、琴浦町の担当者に撮影を依頼したのだが、まるまる1ヶ月のあいだ大山は雲に巻かれたままだった。
西北雲南の麗江にある玉龍雪山もそうだった。一人で麗江をおとずれたとき恐ろしいほど神々しい雪山が姿をあらわした。しかし、その後、友人やカメラマンを連れていくと、必ず雪山は雲のなかに姿を隠してしまう。雪山のみえる麗江とみえない麗江ではまるで違う。神の山に守られた麗江をわたしの友人たちは知らないままだ。
車に戻って、運転手に提案した。まだ時間はたっぷりある。いったん山を下りて、ライステラスや寺院をみながら、晴れそうになったらここに戻ってきてはどうか。運転手は打って変わって。嫌な顔をした。
「この雨は当分おさまらないよ」
わたしたちは山を下って、沐浴寺(↓)をめざした。

- 2008/03/10(月) 21:26:01|
- 環境|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0