
稲田が文化財たりえると思ったことがかつて一度だけある。
あれは1993年の秋だった。秋田県近代化遺産の本調査を終えて報告書編集のための会議が現地であり、ついでに2~3ヵ所補足調査をしようということになった。車で移動していたときのことだ。前後左右の広大な水田地帯をうねり進み、どこまで行っても稲穂の波につつまれていた。まさに収穫されんばかりの黄金の稲穂があたり一面たなびいている。そこは緩やかな傾斜地であったから、棚田というほどの棚田ではなかったけれども、傾斜地の上から見下ろせば、あたり一面が金色の海のように輝いた。
黄金の浪がざわついている。しばらくして夕陽がその穂を赤く照らし始めた。すると、あたり一帯は赤身を帯びた金の海に変わった。そのとき言いしれぬ恍惚を覚え、近代化遺産より何より、この風景をこそ保全すべきではないか、と舌をすべらせたところ、車を運転していた県の文化財担当者ににべもなく笑われた。かれは近世史の専門家であった。そして、秋田の人であった。土地の人からみれば、黄金の海などありきたりな風景にすぎない。遠くからやってきた訪問者が鑑賞して感動するように意識が覚醒するはずはないだろう。ましてや、稲を収穫する農民にしてみれば、田は生活の場そのものであり、日々体験する風景でしかないのだから、恍惚や感動とは無縁である。
しかし、わたしはあのとき、黄金の海を切り裂くように出陣する戦国武将の隊列を思い浮かべていた。黒沢明の映画にだって使える。それほどの風景だった。

それから3年ほどして、フィリピン・イフガオ地方の「コルディラの棚田」が文化的景観の価値を評価され、世界で初めて世界複合遺産になったという知らせを受けた。「田んぼ」が世界的な文化財として認識された瞬間であったといってよい。
この日(わたしはまだ3月8日の話を書き綴っている)、午前からずっと棚田を中心に水田を追い求めていた。至るところで車を停め、田を撮影していたのである。そのフィナーレが「チェッキン・テガラランの棚田」であった。すでにバリの観光ガイドに必ず掲載されるようになった名勝地で、土産物屋や茅葺きの茶屋が軒を連ねている。
絶景というほかない。険しい渓谷に紡ぎ上げられた棚田がバナナ林や山林と融け合うその風景は、バリの生業世界を映し出すなによりの画像である。
- 2008/03/11(火) 21:00:20|
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