
3日め(3月9日)もまた車にのって田をみてまわった。
今回の視察は「建築」よりも「景観」に照準をあわせている。建築は点だが、景観は面だ。文化遺産たりうる建築を結ぶ面が景観であり、バリの場合、その大半は稲田だと言ってよい。あたりまえのようで、日本と共通するこの特色を無視してはいけない。点を結ぶ「つなぎ」の景観として田や畑が評価できるならば、保全の対象は「建築」から「地域」に変わる。
バリの稲作は3期作で、ある場所で田植えをしているかと思えば、山を越えると稲刈りの真っ最中だったりする。穂をつけた田もあれば、穂のない葉と茎だけの田もある。居ながらにして水稲農耕のプロセスを知ることができるわけだ。

昨日のような棚田は例外として、田をみて感動を得るのは日本人には難しいだろう。あまりにありふれた風景でしかない。日本人にとっても、インドネシア人にとっても。しかし、欧米人は同じように見ていないかもしれない。わたしはイングランドやスコットランドを訪れ、どこの田舎にもありふれて存する田園風景にみとれていた。町並みや遺跡の背景として映る田畑や放牧地に美を感じ取っていたのである。その風景はピクチャレスクというふさわしいものであった。欧米人はアジアの水田をみてどう感じているのだろうか。感動とは言わないまでも、言いしれぬ魅惑にとらわれている可能性はあるのではないか。

↑↓脱穀と田植が同時におこなわれている。
- 2008/03/13(木) 00:19:54|
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