
ホテルの前に「ベビーフェイス」というレストランがあって、毎日1~2回通っていた。そのレストランではインターネットが無料で使用できた。内装替えのために一度入れなかった。仕方ないので、隣のジャズバーを使うことにした。このバーでも無線ランは飛んでいたが、有料だった。5時間で60000ルピーだと言われた。700円ばかりの料金だけれども躊躇した。昼間から5時間もネットを使うことなどありえないし、夕方まで待てば「ベビーフェイス」で接続できるであろうから、待てばよいのだ。が、すでにわたしは軽度のネット中毒に陥っていて、昼間の1~2時間だけでもブログやメールに接続したい欲求が捨てきれない。それに、ジャズが好きなんだ。結果、そのバーで昼食をとることに決めた。
ところが、ジャズ・バーにジャズは流れていなかった。70年代から90年代のポップスばかりが聞こえてくる。べつにそういう音楽が嫌いではないから、パソコン弄りのバックミュージックには悪くないと思って、気にもとめず音楽を聴いていた。すると、突然、音楽がジェイムズ・テイラーの「ユーヴ・ガッタ・フレンド(君の友だち)」に変わった。キャロル・キングの名曲として知らない人はいないだろうが、シングルとしてヒットさせたのはジェイムズ・テイラーである。もう少し詳しく説明すると、キャロルが1971年にグラミー賞4部門を制覇したアルバム『つづれおり』のなかの1曲で、同年、ジェイムズ・テイラーがシングルカットして全米№1を獲得した作品である。

わたしは驚喜した。出国前、ジェイムズ・テイラーの『ワン・マン・バンド』(2007)が届いて、そのライブの素晴らしさに翻弄されたばかりだったからである。『ワン・マン・バンド』のDVDをみると、「君の友だち」の歌い出し直前に「ジョニ・ミッチェル、ジェイムズ・テイラー、そしてキャロル・キングのユーヴ・ガッタ・フレンドです」と紹介される。
『ワン・マン・バンド』を視聴するまでもなく、ジェイムズ・テイラーほどフィンガリングの上手いシンガー&ソングライターはこの世に存在しない。これについては、いずれ稿を改めて書こうと思っている。ともかくウブドのジャズ・バーで突然流れた「君の友だち」のために、パソコン弄りの手が止まってしまったのである。わたしは高校生のころ、「君の友だち」のギター伴奏を完全にマスターしていた。「ファイアー・アンド・レイン」も「カントリー・ロード」もちゃんと弾けた。ただ、ジェイムズ・テイラーのように歌うのは不可能だった。オリジナル・キーで歌おうとすれば、1オクターブ高く声をだすしかなかった。ジェイムズ・テイラーのように低くて太くて暖かい声はどうしてもでなかった。今でも無理だが、青い高校生に歌える曲ではない。
ジャズ・バーで、わたしは少し興奮してしまった。思わず、
「ジェイムズ・テイラーだよ!」
と店員に声をかけたのだ。若いかれらはキョトンとしている。
この店は、これが最初で最後になった。


「ベビーフェイス」には4人のウェイトレスがいた。入れ替わりで2人ずつ店にでる。わたしはニカという少女をお気に入りにしていて、なにか注文するときは出来るだけ彼女を呼ぶことに決めていた。どの娘も可愛らしく、礼儀正しかった。ただ、ニカ以外の3人は礼節のなかにどこかよそよそしさを感じてしまう。ニカだけは違った。とても暖かい応対のできる少女だった。よそよそしい感情をもっているに違いないのだが、それが外に出ないのは天賦の才としかいいようがない。営業を職とすれば、おそらく自然に客が付いてくる、そういう人のように思われてならなかった。
10日の昼も「ベビーフェイス」で、いつものように粘っていた。ニカの薦めるフルーツミックス・ジュースから始めて、ジンジャー・スカッシュを飲み、最後はバリ風のチキン・ヌードルスープを食べた。スープにライムを絞って緬をすすると、「あぁ、東南アジアに来たな」と思う。スープを飲み干し、パソコンを片づけた。そろそろ、午後の散策に移ろう。ニカにチェックを申し出た。73500ルピーだった。
ニカには「夕方また来るから」と伝えた。
午前は「モンキー・フォレスト」を訪れて餌付けされた猿たちに接したんだ。ジャングルの中に古い寺院があり、その周辺に数え切れないほど猿がいた。オナガザルの一種だという。モンキー・フォレストから王宮に抜ける幹道をモンキー・フォレスト・ストリートという。この道に猿はいない。土産物を売る店やレストランやホテルが軒を連ねている。「ベビーフェイス」はモンキー・フォレスト・ストリートのちょうど真ん中あたりにあった。午後は王宮(↓)をめざした。じつは3年前にも王宮を訪れている。(続)
- 2008/03/15(土) 00:06:07|
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