
安土城は国の特別史跡である。特別史跡内に建物を「復元」するのは、われらが平城宮跡の先例にみるように恐るべきことであり、容易におこなわれるべきものであるはずがない。いくら住持の意向が「復元」に向かっているとしても、国が血税をもって史跡を維持管理しているからには、住持の思い通りになるはずもなく、ましてや国際的な遺跡整備のクライテリアに照らすならば、証拠が十分でない復元は決して容認されないのである。だから、腰がひけた。そもそも、地元の鳥取城にさえあまり近寄らぬようにしているのは、市民および市長の「復元熱」が強いからであり、大極殿の復元から逃走してきたわたしとしては、鳥取城の「調査」は指導しても、「復元」は決して指導しない、というスタンスを7年間貫いてきている。
見寺の復元に関わるのかどうか、まだ分からない。しかし、とりあえず車2台を出して5名で説明会に駆けつけた。それはなにより「友情」のためだった。おかげで美味い酒が飲めた。楽しい会話もできた。学生たちには悪いが、わたしのいちばんの目的はそこにあったのだ。もちろん学生たちをどう動かすか、について考えていないわけではない。新聞社の取材に対しては、こう答えた。
「学生が自主的にやりたいというなら、やってもらうが、決して強制はしない。
コンペが義務になっては何の意味もないから。」
そして、学生たちには、こう言っている。
「これはゲームだ。絵図が残っているのだから、おおよその復元はどのチーム
も似たりよったりになるだろう。しかし、復元のガチンコ勝負となれば、絶対的に
優位にたっているチームもいる。はっきり言って、うちは有利な立場にない。
しかし、かりにガチンコ勝負して勝ったとしても、建物が建つわけでもない。
それほど、特別史跡内の復元事業は甘いものでない。ならば、遊ぶしかない
ではないか。どのように遊ぶかは、おいおい決めればよい。」

↑↓帽子の有無に注目!

見寺の仁王門と本堂は甲賀から移築されたと伝承されている。県境に接して三重の側が「伊賀」、滋賀の側が「甲賀」である。信長は伊賀を殲滅し、甲賀を重用した。
飛騨の赤影も、そういえば、「甲賀の七人衆」と戦ったんだよな。血がたぎるねぇ。

↑甲賀の浅影? ↓そのホカノ忍者
- 2008/03/31(月) 15:00:06|
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本日、チャックから電話ありました。無事、入社式が終わったそうです。あした配属が決まり、パソコンのアドレスももらえるとのこと。がんばって欲しいですね。わたしたちも、ぼちぼち始動します!
- 2008/03/31(月) 22:43:10 |
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- asax #90N4AH2A
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