紫陽花の散る庭 七月に入って梅雨もあがり、蝉の声がかまびすしくなってきた。
舌右衛門は城下の屋敷で、作事方清水多久左右衛門の訪問をうけた。小さな池に臨む書院の縁で、花の散った紫陽花をみつめながら、二人は砂丘西瓜をかじり、語らっていた。西瓜の種は庭にむかってプッと吹き飛ばす。
「多久左、天球丸の普請のほうは如何じゃ?」
「はっ、あのように急峻な崖に新たな郭を造成するのは至難の仕事、石工の上月棟梁もご苦労されております。進捗はかばかしいとは申せませぬ。」
「・・・さようか。岡村の出番もまだ先になるの。」
「高堂でございますか。あやつは大工町で材の加工に精を出しておりまする。」
「早く京で学んだ腕をみせてもらいたいものじゃ。」
そこに電信が鳴った。
「・・・かっ、髪を染めたと・・・・」
多久左は笑みを浮かべながら、しばらくして「鮎殿でございますか」と訊ねた。
「なぜ分かる?」
「伸太がそのような話をしておりました。」
「あやつ、忍びの者とも思えんほど口が軽いのう。解雇するか」
ごほん、という音が縁の欅板をかすかにふるわせた。
「このまえ、高堂、伸太とともに蛍で飲んだのですが、そのとき伸太が話題に出したのでございます。」
「あの居酒屋は安くて美味いからの。それにしても、口が軽いわ、あの下忍・・・」
「じつは、ひさもそのとき同席しておりました」
「そう言えば、ひさ殿は蛍の大蒜の唐揚げが好物じゃったのぉ」
「豚肉と白菜の酒蒸しも好物にございます」
「ひさ殿は息災か?」
「はい、元気にしております。が、口喧嘩が絶えませぬ」
「はは、仲のよい証拠じゃ。いったい何の喧嘩じゃ?」
「殿は倭文の奥様とは喧嘩なさいませぬか?」
舌右衛門の本宅は城下郊外の倭文にあった。倭文に住んでも良いのだが、歩けば城まで一刻もかかるので、城下に別宅を設けていた。
「仲はよいぞ。ただし、あれには病いの気があっての、心配しておる。」
「さようでございますか。」
「倭文にはよくお帰りになるのですか?」
「十日に一度というところかな」
「奥様は我儘ではございませぬか?」
「我儘なのはわしじゃ。あれは辛抱強い。ひさは我儘か?」
「・・・でないとは申せません」
「おまえがやさしすぎるのではないか?」
「男と女は難しうございますれば」
「分かったようなことを申すでない」
今度は多久左右衛門の電信が鳴った。
「噂をすればなんとやらか?」
「はい」
「ひさ殿はなんと申した?」
「フライドチキンが食べたいと」
「あの、紅毛人がもちこんだという鶏肉の揚物か。美味いのか?」
「はい、ひさはモスではなく、ケンタッキーでないと食べませぬが」
「どちらでもよいではないか。二人で食べに行くがよい」
「殿は薬研堀に行かれるのではありませぬか」
「ひとりなら今宵はやめるかのぉ」
ふたたび床下に気配を感じた。
「伸太か?」
「はい」
「気配を悟られるようでは、腕のよい忍びとはいえんな」
「薬研堀という言葉を聞いたとたんに、脈が速くなり、息がもれてしまいました」
「情けない忍びじゃ。美雪殿にあいたいのか?」
「それはもう」
「利蔵はどうした?」
「上方に参りました。大坂の雲行きが怪しうなっております」
「淀君か?」
「もっと大きな力が働きはじめておるという風聞が・・・」
「仙台の独眼竜が婿の松平忠輝を動かして大坂城に入るという噂か?」
「全国のキリシタン大名に密書を送っているとか」
「家康は甘くないぞ。独眼竜の手に負える相手ではないわ」
*『薬研堀慕情』 好評連載中! 「薬研堀慕情(Ⅰ)」 「薬研堀慕情(Ⅲ)」
- 2008/03/30(日) 20:00:36|
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