七夕の黒髪 鮎は黒髪に変わっていた。舌右衛門が所望していたとおりの髪の色である。ただ、自然な黒髪ではなく、茶と金の入り交じった巻毛を黒く塗りなおしたものらしい。その点、どこか人工的で不自然にみえる。
舌右衛門は「髪を黒くしたから見にきて」という電信を受けたとき、驚き、嬉しく思った。その姿をこうして目の当たりにし、その驚きと喜びがぶり返してきたことはきたのだが、やはりどこかに納得できない気持ちも残っている。
(わしのために髪の色を変えるなど、ありえぬわい・・・)
「殿、如何いたしました? この髪がお気に召しませぬか?」
「いや、めっそうもない。ただ驚いておるのじゃ」
「では、もう少し嬉しそうにしてくださりませ」
「はは、嬉しい、うれしいぞ」
「もう、・・・もそっと上手なお芝居ができませぬのか。今宵はこうして髪を黒くし、浴衣を纏い、七夕の夜をもりあげようとしておりますのよ」
七夕が近くなると、茶屋中の娘が浴衣を着る。それがまた、客を呼ぶのである。鮎は縫物の才があり、浴衣も自ら手縫いしたという。群青に朝顔の花の咲いた色合いの生地で浴衣を縫い、ところどころにフリルのような白い飾りをつけていた。
「そうそう、短冊を用意してございますのよ。殿も伸太さまも、短冊に願いを込めて笹に吊しましょうえ」
と鮎は言い、色とりどりの短冊と筆をもってきた。舌右衛門は筆をとった。
弾け、サンバースト! 「何でございますか、このサンバーストとやらは?」
「吉他琴で弾く曲の名じゃ」
「吉他琴とは、どのような琴でございますか?」
「南蛮人がもたらしたギターラと申す6弦の琴でな、琴というよりもむしろ三味線か琵琶に近い楽器じゃのう」
「それと七夕がどう関係するのでございますか?」
「べつに関係はせんが、難しい曲でな、一所懸命練習して、鮎に聴かせようと思うておるのじゃ」
「いつまで待てば、鮎はその曲を聴けるのですか?」
「そうじゃな、あと二月か三月・・・」
「そんなに待てませぬ」
その宵は七夕前で客はごったがえしており、鮎は占い遊びもせぬまま、いったん席を立った。いつもなら美雪が代わりに席につくのだが、店に群がる客が多すぎて、しばらくおなごはひとりも同席しなかった。
「伸太、鮎の黒髪をどう思う?」
「それは、殿のご所望を叶えられたのでしょう」
「そうかのう? わしはちがうと思うておる。かりにそうだとしても、営業用だと考えたほうがよいのではないか」
「でも、殿が所望されなければ、黒髪にする必要などないではありませぬか」
「おなごは気分で髪型を変えるものじゃ。なにかあったのではないかな。好いた男とうまくいかぬとか、茶屋の人間関係にいらいらしたとか。髪型を変えて憂さ晴らししようとして、わしの望みを思い出したまでのことではないかの?」
「よくそこまで頭がまわりますな。もっと素直にお喜びなさればよかろうに」
舌右衛門はしばらく考えこんで、再び口を開いた。
「おなごは化生だからの・・・」
伸太は、雇主が何を言いたいのか、よく理解できない。
「たしかに、おなごは化粧をしますな」
「阿呆、化粧ではない、化生じゃ」
「化粧と化生はどう違うのでございますか?」
「化粧は、紅毛人の言葉で言えば、メイキャップであろうが」
「それでは、化生は?」
「・・・バーチャル、かの」
「仮想、でございますか?」
「そう、仮想じゃ。化粧をして男の前にでてくるときのおなごはみな現実ではない。みな化けておる。」
「お化けでございますか?」
「そうかもしれん。明の国では、美しい娘を<妖怪>と読んで外に出さぬ習わしがあると聞く」
「なぜでございますか?」
「傾城(けいせい)という言葉を知っておるであろうが?」
「淀の側近、大野治長は男傾城と呼ばれておりますな」
「そうじゃ、その反対じゃ。美しいおなごは国(城)を傾けてしまうほど妖艶な力をもっている。危険きわまりない存在だとだれもが知っている」
「楊貴妃でございますな・・・」
そのとき、伸太は天井に馴染みの気配を感じた。
「殿、利蔵にございます」
「ふむ、茶屋をでるぞ」
*『薬研堀慕情』 好評連載中! 「薬研堀慕情(Ⅰ)」 「薬研堀慕情(Ⅱ)」 「薬研堀慕情(Ⅳ)」
- 2008/04/02(水) 00:39:45|
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