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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(Ⅳ)

天の川へ

 薬研堀に沿う小道を北に上がっていくと寺町にでる。明慶寺という真宗寺院の伽藍の真ん中で二人は利蔵と落ち合った。これぐらい大きな広場で話すほうが敵方の忍びに話を聞かれる恐れもないのである。

   「上方は物騒なことになって参りました」
   「大坂城か」
   「はい。関ヶ原の浪人どもが続々と入城しており、すでに数万の大軍にふくれあがっております」
   「大坂方は徳川の連合軍に勝てると思っているのでしょうか」と伸太が訊ねる。
   「勝てるとは思っておるまい。武士の意地ではないか。浪人たちは死場所を求めておるのよ」 
   「それが、淀君や大野治長は勝てる目算があるようなのでございます」と利蔵。
   「・・・独眼竜か?」
   「はい、伊達政宗さまが婿の松平忠輝さまを連れて大坂方に寝返るとの噂がまことしやかに流れております」
   「それは聞いておる。大坂方には事実上の総大将がおらぬから、伊達が城に入って総指揮をふるえば、たしかに恐ろしいことになるが、それでも徳川方の連合軍を打ち破ることはできまい」
   「それが、さらに強力な援軍が参るというのです」
   「だれじゃ?」
   「イスパニアの無敵艦隊です」
   「えっ!?」
   「幕府は伊達さまに命じてローマに使節を派遣するらしいのです。なんでも支倉常長という仙台藩の武将がその準備を進めておるとのこと」
   「噂に聞いたことがある」
   「ところが、南蛮の宣教師どもが伊達さまに『ローマからイスパニアにまわり、フェリペ国王に密書を送れ』との悪知恵を吹き込んだようでして・・・」
   「密書とは、軍艦を派遣してほしい、という嘆願書か」
   「はい。軍艦を派遣してくれれば、日本はキリシタンの国に変わると」
   「恐ろしいことを企むものじゃ・・・」
   「大阪方の筋書きは壮大でございます。伊達さまを総大将にして大阪城に十万の兵が籠城する。大坂城ならば十年の籠城にももちこたえられる。そのあいだに支倉に導かれたイスパニア国王の艦隊が難波の海にあらわれ、幕府軍に猛攻撃を加える」

 舌右衛門は、その筋書きに驚愕した。場合によっては、日本はイスパニアの属国になりかねない、という恐怖すら湧いてきた。

   「駿府の大御所(家康)はもちろん、このこと承知しておるのであろうな?」
   「はい。で、柳生宗矩さまを通じて伊賀の頭領、服部半蔵御師匠に伝令が下されました」
   「なんと?」
   「下呂舌右衛門さまに雨川(あまかわ)に出向いていただきたい、と」
   「なに、わしが七夕に天の川に行くのか」
   「おふざけはほどほどになさいませ。澳門(マカオ)に行ってほしいとの命でございます」

 当時、平戸ではマカオを「雨川」と漢字書きしている。マカオはアマカオとも呼ばれており、その音声を訓読みの漢字でなぞったのである。



 上意とはいえ、舌右衛門は理解に苦しんだ。
 
   「なにゆえ、わしに白羽の矢がたったのじゃ」
   「殿は明国の滞在経験が長く、あちらの言葉がよくおできになります」
   「わしは北京と上海の言葉なら少しはできるが、広東の言葉は分からんぞ。マカオは広東語ばかりじゃ」
   「マカオに2度ばかりおいでなさいましたな?」
   「・・・・・」
   「それを見込まれたのでございます」
   「マカオに行って、なにをするのじゃ?」
   「南蛮と紅毛の勢力関係を調べてもらいたい、とのことでございます。かつてはイスパニアやポルトガルの南蛮艦隊が強く、世界最強を自負しておりましたが、最近はエゲレスやオランダの紅毛艦隊が南蛮を負かしておるとの情報が伝わっており、その真偽をたしかめてほしいとのことでございます」

 舌右衛門は行きたくなかった。若いころ老荘の思想と古代印度仏教の相似性に興味を抱き、中国の古典を読み漁り、その熱からとうとう明国入りを果たして何年か彼の地に滞在したのだが、明という国をついに好きにはなれなかった。彼の国は老荘や仏教とはあまりに縁遠い世俗と権力の世界だったからである。いま片田舎の藩校の講師として漢籍を訓じてはいるけれども、すでに「中国」は自分のなかでは終わったものだと決めていたのである。
 ただ、マカオは悪くない。広東料理とポルトガル料理の両方を味わえるし、ポルトガル葡萄酒の味も絶品であることを思い起こした。
  (あのシャンパンに似た白い葡萄の発泡酒は安くて美味かった)
  (鰯の炭火焼きとあのワインがよくあうのじゃ)
  (飲茶と竹升緬の味も懐かしいな)

 舌右衛門は利蔵に確かめた。

    「池田の殿様は、このことをすでにご承知か?」
    「はい、藩主の池田長吉さまには柳生さまから直々の書状が届いているはずでございます。ただし、殿のお仕事の内容をどこまでお知らせなのかは分かりません。マカオに遣わしたいとだけ書いてあるのかもしれませんし、もっとくわしいところまで記してあるのか、わたしには判断できませぬ」

 ふと鐘楼の陰に気配を感じた。気配はたちまち殺気に変わった。



*『薬研堀慕情』 好評連載中!

    「薬研堀慕情(Ⅰ)」
    「薬研堀慕情(Ⅱ)」
    「薬研堀慕情(Ⅲ)」
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」



  1. 2008/04/03(木) 00:58:34|
  2. 小説|
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