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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅠ)

ビフォー・アイ・ワズ・ボーン

 サラの部屋で、好物の白い発砲性ワインを飲みながら、ふたりはよく話をした。中国語が7割、英語が3割の、途切れとぎれの会話ではあったが、日増しに意思の疎通はよくなっていく。

   「どうして、こんなところで遊女をしているの?」
   「どこの国の男も同じことを訊くのね、もううんざり。なぜ知りたいの?」
   「まぁ、訊いておいてもよいかな、と思ったぐらいさ」
   「その程度の理由なら、あまり話したくないわね。だって、話し始めると、とても長くなるのよ。いろんなことがあって、複雑にこんがらがっていて、わたしの語学力ではきちんとした説明はできないわ、残念ながら。ただひとつ言えることはね、いまこうして生きているだけマシだってこと」
   「それなら、話題を変えよう。いまヨーロッパでいちばん強い国といったら、どの国なのかな?」
   「いちばん強いって、どういう意味?」
   「軍事的にさ。戦争したら、どこが強いっていう意味だよ」
   「そりゃ、わたしの国でしょうね?」
   「イギリスかい?」
   「そう」
   「どの国の人も、自分の国がいちばん強いと思っているんじゃないかい?」
   「そうかなぁ・・・、オランダはオランダのほうが強いって思ってるのかな、やっぱり」
   「日本人はみな、イスパニアが強国だと信じているんだよ」
   「イスパニアって、スペインのこと?」
   「スペインはもう落ち目ね」
   「いつごろから落ち目なの?」

 サラは話をさえぎった。どうやら話題に退屈しているらしい。

   「ねぇ、葉巻を吸わない? マスターがハバナ産の上等な葉巻を用意してくれてるのよ」

 サラはまるい缶から太い葉巻を1本取り出し、口にくわえて火を点け、口紅のついた葉巻の吸い口をそっと舌右衛門の唇におしあてた。舌右衛門はしばらく煙をくゆらせていたが、葉巻をいったんサラにかえすと、同じ質問を繰り返した。

   「だからさ、スペインが没落したのはいつごろからなんだい?」

 サラは葉巻の煙をふっと吹き出しながら、

   「ビフォー・アイ・ワズ・ボーン」

 と答えた。
  舌右衛門は眼を見開き、「ハウ・オールド・アー・ユー?」と問う。サラは、女性に年齢を訊くなんて失礼よ、という顔をしながら、
  
   「21」  

と素っ気なく答えた。


 この時代の年号を西暦に直すのはそう難しいことではない。関ヶ原の戦がおこなわれた慶長五年が西暦1600年ちょうどにあたる。下呂たち3名がマカオにわたった慶長15年は1610年。サラの生年を単純に計算すれば、1610-21=西暦1589年だから、日本では天正十七年。秀吉が九州征伐を終え、翌十八年より小田原城攻めに転じたころである。ちなみに、秀吉は関ヶ原の2年前、慶長三年(1598)に亡くなっている。

   「あのさ、スペインの海軍ってね、日本では無敵艦隊って呼ばれてるんだ。世界最強の艦隊だとだれもが思っている」
   「無敵艦隊って、Armada Invencibleの訳ね。それはねぇ、じつはイギリス人が名付けたものなのよ」
   「やっぱりイギリスはスペインの艦隊を恐れていたんだ」
   「違うのよ、皮肉をこめて、無敵艦隊と呼んだの」
   「皮肉?」
   「そう、アイロニー。わたしが生まれる前のことだから、よく分からないのだけれども、アルマダの海戦っていってね、スペインが大艦隊を組織してイギリス征伐に乗り出し、ブリテン島のまわりを一周したらしいの。そのあいだにイギリス海軍と何度も戦ったんだけれど、その海はイギリスのホームグラウンドなんだから、どの海戦でもイギリスはスペインに勝ってしまうのね。連戦連勝で、スペインはぼろぼろに負けてしまった。もう全滅というぐらいひどい負け方だったって聞いてるわよ。もちろんイギリス人は大喜びでね、完敗したスペインの大艦隊を揶揄して『無敵艦隊』と呼んだんだとわたしは教えられたのだけれど、・・・わたしもきちんと学んだわけではないから、くわしいことはわからないわ」
   「ともかく、スペインが『無敵艦隊』と自称しているわけじゃなくて、・・・」
   「イギリスがスペインを馬鹿にして『無敵艦隊』と呼んだということ」

 舌右衛門は(信じられない)と思ったが、話に相づちを打つことにした。

   「なんだ、それじゃサッカーの世界と似たようなものじゃないか?」
   「そうそう、スペインのナショナル・チームはアルマダ(無敵艦隊)ってあだ名されているけど、たいして強くないものね」
   「でも、スペインとイングランドがサッカーで戦うとすれば、どちらが勝つかわかんないよね?」
   「まぁ、似たようなレベルね。たしかに、オランダのトータル・フットボールには敵わないわ」



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    「薬研堀慕情(Ⅰ)」
    「薬研堀慕情(Ⅱ)」
    「薬研堀慕情(Ⅲ)」
    「薬研堀慕情(Ⅳ)」
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」
    「薬研堀慕情(Ⅵ)」
    「薬研堀慕情(Ⅶ)」
    「薬研堀慕情(Ⅷ)」
    「薬研堀慕情(Ⅸ)」
    「薬研堀慕情(Ⅹ)」
    「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」




  1. 2008/04/10(木) 00:19:12|
  2. 小説|
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