赤影見参! 十字楼からセナド広場に向かう小路を歩きながら、
「殿と利蔵はようございますな。宿舎に戻っても伽をしてくれるおなごがおりますからな。わしだけ一人寝じゃ・・・」
と伸太はこぼす。舌右衛門は伸太と利蔵に説いて聞かせた。
「この、夢物語のような生活もまもなく終わる。昨日で情報集めの目途はたった。あとは帰国の準備を進めるだけじゃ。ともかくな、命あっての物だねだ。この夜道も気をつけよ!」
小路を抜けると仄かな光が少しずつひろがっていった。セナド広場は月あかりに照らされて、まるで洋画のセットのようなムードを醸し出している。
「殿、昼間の喧噪が嘘のような閑けさですな。ロマンチックではございませぬか・・・」
と呟く伸太の口を利蔵の手が塞いだ。
「人の気配がします」
「通行人ではないのか?」
「いえ、屋根の上の暗闇でなにかが動きました・・・」
という利蔵が、ぎゃっと叫んで地面に倒れた。利蔵の右太腿に手裏剣がくい込んでいる。2階建洋館の軒先から、さらに手裏剣が飛んでくる。舌右衛門は太刀を抜き、飛んでくる手裏剣を打ち落とした。
「手裏剣には毒が塗ってあるぞ。伸太、急ぎ利蔵に毒消しを飲ませよ、急げ!」
暗闇から黒装束の男が飛び出した。忍者だ。屋根を飛ぶように駆けながら、手裏剣をマシンガンのように投げつけてくる。舌右衛門は倒れた利蔵の壁になるように立ちふさがり、次々と手裏剣を切って落とす。伸太はしゃがみこんで、利蔵の太腿の付け根を布で縛って止血し、何種類かの毒消し薬を飲ませた。
黒装束の忍者は、広場を囲んで軒を連ねる洋館群の屋根を旋回していく。忍者は月に正対するようにして、屋根の軒の上に立ち止まり、広場の地面にいる3人を見下ろした。月あかりが忍者の姿を照らし出す。
「あっ、赤影だ。飛騨の忍者、赤影だ!」
たしかに、その忍者は赤いサングラスのような仮面をつけている。装束はノースリーブで、鎖かたびらを纏う両腕が上着から飛び出していた。
「殿、本物の赤影でございますぞ!」
と伸太の興奮は納まらない。
「阿呆、みとれている場合ではない」
と戒めた舌右衛門さえ、かつて夢中になって漫画を読んだ赤影の姿に唖然呆然と見とれている。そのとき、すでに勝負は始まっていた。赤影は風上の屋根にたち、舌右衛門たちは風下の地面にいた。赤影は風上にまわるために、屋根を旋回していたのである。
赤影はポニーテールに似た髷を指でといた。長髪が風になびいて、落ち武者のような風貌に変わってみえる。その姿にはえもいわれぬ妖艶さがあり、地面から見上げる二人も鳥肌がたった。
屋根にたつ赤影が両手で印を結び、
「忍法 みだれ髪」
と唱えると、たちまち風になびく長髪が次々と頭から離れ、風にのって地面に舞い落ちていった。
「殿、赤影のみだれ髪です。本物の忍法みだれ髪ですぞ!」
と、伸太はまだ興奮している。
「阿呆、これは幻術じゃ、なんとか逃れる手はないのか!?」
と叫んだときには、すでに舌右衛門の体に赤影の乱れ髪が何重にも絡みついていた。舌右衛門も伸太も、まとわりつく黒髪から逃れようともがくのだが、もがけばもがくほど黒髪は体にくい込んでくる。漫画で読んだとおり、黒髪には痺れ薬がたっぷり染みこませてあり、まもなく舌右衛門と伸太は意識を失った。
赤影はふわりと広場に飛び降りた。猫のような身の軽さである。地面に降りると、ただちに舌右衛門に近づき、背中に巻き付けてある風呂敷包を手にとって立ち去ろうとした。そのとき、うずくまっていた利蔵が「待てっ」と叫びながら、赤影に上段から斬りかかった。右太腿に深手をおっており、地面に伏せていたおかげで、利蔵にだけ黒髪はまとわりつかず、痺れ薬が効いていなかったのだ。しかし、右足の自由が失われており、いつものように軽快な動きができない。赤影は咄嗟に風呂敷を離し、背中の太刀を抜いて、利蔵のふりおろす剣をかわしながら、太刀を水平に振り抜いた。
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- 2008/04/19(土) 14:14:18|
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