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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅧ)

利蔵の死

 そういえば利蔵の姿がみえない。右太腿の傷が深かったのであろうか、別室で治療を受けているにちがいない。きっと小李が寝ずの看病をしているのだろう。舌右衛門は急に利蔵のことが心配になり、王賢尚に問うた。

   「利蔵はどこにおります? 手裏剣を足にくらって動けなくなっておりましたが、毒消しの薬をたんと飲ませましたゆえ、毒も効いてはおらぬと思うのですがな・・・」

  その瞬間、部屋が真っ暗になった。灯りが消えたのではなく、真っ暗な空気が流れ、長い沈黙が支配した。黙っていてもしょうがない、という顔をして、うつむいていた王賢尚が語り始めた。

   「殿、落ち着いて聞かれませ」
   「はぁ?」
   「利蔵どのは討ち死にされました」

 舌右衛門はしばらくその言葉の意味を解せず、まもなく頭の中が真っ白になった。

   「利蔵が死んだと!? なぜ、・・・なぜ利蔵が死んで、わしが生きておるのじゃ。わしを殺さねば、意味がないではないか」
   「殿と伸太どのが意識を失ってからも、利蔵どのは賊と戦われたのでしょう。ひょっとすると、毒消しの薬を大量に飲んだことが災いしたのかもしれません」
   「毒消しの薬が効いて、みだれ髪の痺れ薬に体を麻痺させることもなかったと?」
   「事の真相は分かりませぬが、賊が殿のお命を奪うのをなんとしても防ごうとして、斬り合いになったものと思われまする」
   「しかし、わしは生きているではないか。ならば、利蔵を殺す必要もないではないか」
   「いえいえ、そこは斬るか斬られるか、の世界です。斬らなければ斬られる。賊はそう判断しただけのことでございましょう」
   「分からぬ。利蔵を斬ったのなら、わしも斬ればよいではないか。さすれば、日本にどんな報も伝わらぬ。なぜ、わしを生かしたままにした・・・・」
   「殿が背負われていた資料を奪うことが賊の目的であり、殿を殺すことが目的ではなかった、と理解するほかありません。それ以外のことは想像しようにもできませぬ・・・」

  利蔵の遺体は隣室に安置されていた。ミレットと王賢尚に支えられながら、その部屋に入ると、ベッドの横で小李がしくしく泣いている。舌右衛門は利蔵の顔を覆う白い布をめくり、利蔵の死顔と対面した。

   「利蔵、・・・伊賀者らしい最後であったの・・・」

とだけ語りかけ、合掌した。まわりの者もみなこれに倣った。王賢尚が問う。

   「遺体はいかがいたしましょうか。お望みのとおりにいたしますが。塩づけにして日本に運ぶということでしたら、その方法も考えまする」
   「いやいや、遺体を日本に運び帰るなどめっそうもないことです。遺髪だけ日本に持ち帰りますので、遺体はマカオに埋葬していただけますか? 伊賀に戻しても、このような下忍には墓らしい墓もできませぬ。それよりこちらで立派な墓を作ってやるほうが供養になります。小李も墓参りしてくれることでしょうし」
   「わかりました。ただし、葬儀はカトリック式になりますが・・・」
   「かまいませぬ。忍びに宗教など関係ありませぬゆえ」
   「では、今宵を通夜とし、明朝、神父を呼んで葬儀をおこないましょう」


 翌日、利蔵の遺体はセント・ポール教会背後の丘陵墓地に埋葬された。利蔵はキリシタンとしてあの世へ旅立ったのである。
 その墓地からは四方の海が見渡せた。あの海の向こうに日本がある。舌右衛門は、その海をみながら、帰国を決意していた。また、王賢尚が問う。

   「下呂さま、記憶が定かなうちにもういちど十字楼を訪れ、サラ殿とともに資料を作りなおされますか?」

 舌右衛門は首を横に振った。

   「いや、これ以上、あのおなごにも迷惑をかけられません。二人そろって襲われるということも重々ありえますからな・・・わたしが一人で記憶を辿り、資料の大要を書き上げます。細部に間違いはあるかもしれませんが、大筋はよく覚えております。その資料を宗薫さまに献上すればよかろうかと」
   「そうですか、サラ殿にはもう会われないのですね」
   「えぇ。逢瀬が一度増えようと減ろうと、二人の人生に大差はありませぬ」

と割り切る発言をしながら、舌右衛門は情も示してみせた。

   「・・・で、無理なお願いだとは思うのですが、もし宗薫さまから頂戴している金子に余裕があるようでしたら、あのおなごを足抜けさせていただけませぬか。サラはじつによく働いてくれました。それに遊女にしておくには惜しい才能をもっております。頭も器量もよいロンドン娘で、バーの雇いマダムでもさせれば繁盛して、すぐに足抜け代など稼ぎあげるようにも察します」

 王賢尚はサラの過去を洗いあげていた。サラは18歳のときロンドンからインドにわたり、イギリス東インド会社で働いていたのだが、当地でイスパニアの色男と恋に落ちた。ところが、その男は名うてのジゴロとして知られるヤクザ者で、サラを欺し、マカオの遊郭に高額で売り飛ばしたのだという。

  「あのおなごを買い取るには少々高くつきますが、長い目でみれば、盛り場の売れ筋商品として役にたつかもしれませんな」

と王は言う。舌右衛門は再度、頭を下げた。そして、もっと重要な頼み事を口にした。

   「堺へ戻る船便を急ぎ手配してくださいませ。一刻も早う帰国の途につきとうございます」




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  1. 2008/04/20(日) 15:26:01|
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