9月1日 グラスゴー→ロンドン→(香港): Willow Tearoom, Glassgow School of Art 今日は移動日。いよいよ帰国が迫ってきて、時間に余裕がない。近場にあるマッキントッシュの作品をみることぐらいしかできない1日である。最初に行ったのは、かれの出身校、グラスゴー・スクール・オブ・アート。玄関をくぐるとレセンプションがあって、担当の女性が言う。
「10時半から、解説つきの見学があります。」
「・・・解説なしで、見せていただけませんか?」
と問うてみたが、
「解説つき以外の見学はできません」
とのことで、案内のタイム・テーブルを手わたしてくれた。

10時半まで1時間以上あったから、先にウィロー・ティールームを訪れることにした。この建物は4階建ての町家で、もとはどうだったのか知らないが、いまは1階を宝石店、2階をティー・ルームにしている。2階にあがると、2組の日本人が座ってお茶を飲んでいた。日本人はアールデコが大好きなんだ。一人は、どうみても、建築家の格好をしている。様式とモダンが入れ替わる世紀末芸術。学生のころ、ひそかに羨望のまなざしで見ていた空間のなかに自分がいる。しかも、マッキントッシュの椅子に座っているのだ。かつて同じような経験をしたことが一度だけある。明治村に移築されたライトの帝国ホテル。あの中2階のカフェを思い出した。
ティー・ルームでは、昨日とおなじキャロット・ケーキと紅茶を注文した。ここで衝撃の事実に直面する。あんまり美味しくないのだ。昨日、アバーフェルディのウォータ・ミル・ハウスでいただいたケーキと紅茶に完敗である。とりわけ、紅茶の味が深刻だった。きっちり茶葉を使っているにも拘わらず、味が薄っぺらで、いくら待っても芳醇な香りがしてこない。時間がたつのに味が濃くならないのは、茶葉そのものが少ないからだろうが、茶葉の匙加減がわかっていないとすれば、問題の根は深すぎる。


シェトランドからオークニとインヴァネスを経由して、グラスゴー空港に着陸し、リムジンの窓外に映る大都会の景色をみて、わたしは「島に帰りたい」と思った。この町はエジンバラとは大違いで、夜の闇に暴力とセックスの匂いがたちこめている。チャリング・クロス駅の隣にあるホテルのカウンターでは、素っ気ない受け答えにがっくりし、部屋に入ればビジネス・ホテルと変わることがなく、広東料理の店では、湯麺の値段が11ポンド(2300円)もして呆れかえった。道をたずねると、くどいほど丁寧に教えてくれる英国人ばかりだったのに、この町の若者の半数は、なかば知らんぷりをする。そして今日は、マッキントッシュのティー・ルームで、紅茶がうまくない。
グラスゴーは「文化」を喪失しつつあるのだろう。都市が「文化」を破壊する「文明」の場だということは承知している。それが都市の魅力でもあるのだが、根っからの田舎者であるわたしにはしんどいことだ。だから、わたしは田舎に住み、田舎をたずね、辺境の島に飛ぶ。おそらく、これからも変わらないだろう。
ウィロー・ティールームの隣には、セルティクスのショップがあった。中村俊輔の等身大の看板がウインドウの最前線に立っている。8月23日のブログで、セルティクスのマフラーを10本買ってくると公言しているのだから、もちろん入らないわけにはいかないのだが、入ってみて後悔した。なにもかも高いのだ。正式なマフラーだと、1本8ポンド(1800円)。10本買ったら1万8千円になる。安い方のマフラーでも、1本5ポンド(1100円)。というわけで、今回買ったのは、マフラー4本と帽子2つだけ。お金がありません。

↑ 左にちらっと見えるのが、セルティック・ショップ。
- 2005/09/01(木) 23:52:17|
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