
今日のプロジェクト研究1&3は課外授業で、鳥取市の
仁風閣と鳥取県立博物館へ出かけました。私は鳥取市出身なので、仁風閣の名前と場所は知っていたのですが、実際に建物の中に入ったの
は今日が初めてでした。仁風閣の外観の第一印象はというと、本当に立派でお洒落な建物で、フランスルネサンス様式という名のとおり、中世のヨーロッパの建築物はこのような造りだったのだなぁと感じたりしました。内部も本当に立派で様々な展示物が飾ってありましたが、その中で私が一番驚いたのが、木造の螺旋階段です。階段を支える支柱もなく、1階から2階まで巻貝のようにのび上がっています。木造の階段が螺旋状に曲がっている状態で造られたと知りびっくりしました。教授がおっしゃっていたとおり、本当に日本人の木造の建築技術は素晴らしいものだと実感しました。

宝隆院庭園をひとまわりして、次に鳥取県立博物館へ。小学生のときから何回か博物館へ行ったことはありますが、本当に久しぶりの訪問でした。目的は、私たちの研究テーマ「魔法の山」の鍵を握る山の精霊(オオサンショウウオ)の見学です。生け簀で買われているオオサンショウウオは、体長60~70センチといったところでしょうか。昔見たときより若干小さくなったかな?と思いましたが、おそらくそれは私の勝手な思い込みでしょう(笑)。しかし、そのとなりにはそれよりもさらに大きいサイズのオオサンショウウオの標本が展示してあったのです。私は飼育されているオオサンショウウオの存在は知っていましたが、あのビッグサイズの標本が展示してあるのを見たのはこれまた今日が初めてでした(笑)。体長約140センチのその姿は、死体ではあっても、ものすごい威圧感を放っている様にさえ感じられました。
今日の課外授業は自分にとっても本当に納得のいく内容であったと思います。鳥取市在住なのでまた機会があれば自分で足を運んでみて、あらためて実感できる何かを求めに行こうと思います。(環境デザイン学科2年 A.K)


追記: 県立博物館の自然展示部門に入って、いきなり「本州のガラパゴス-鳥取県-」という看板を発見し、少々驚いた。本州のなかでいちばん動物の絶滅危惧種や珍種が多いという意味なのであろうが、かつて鳥取など一部の僻地を「日本のチベット」と揶揄する報道などを目にしたこともあり、心境はやや複雑だった。午後4時半をすぎてからの博物館訪問で、少しあせっていたこともあり、めざすはオオサンショウウオただ一つ。この標本には仰天した。案内パネルの文章をそのまま転用しよう。
■死亡時の全長143㎝、体重44.3㎏でした。とくに体重については、これ
より重い記録はみあたらず(当館調べ)、世界最大級のオオサンショウウオ
の標本です。
■このオオサンショウウオは、1945(昭和20)年10月から、2003年7月
20日に死亡するまで、57年9ヶ月の間、飼育されていました。飼育を始めた
当時、すでに体長約50㎝であったということなので、65~70年は生きていた
と思われます。オオサンショウウオの寿命を解明するうえで、たいへん貴重な
記録です。
この文章はきわめて示唆に富んでいる。まず第1に、1945(昭和20)年10月から2003年7月20日までの生存期間をみると、このオオサンショウウオこそが、谷口ジローが『
魔法の山』で描く科学博物館(仁風閣)に展示されていたオオサンショウウオであり、とすれば、それはわたし自身が小中学生のころ仁風閣でみたオオサンショウウオにほかならない、ということになる。上のA.K君が生け簀のオオサンショウウオをみて「昔見たときより若干小さくなったかな?」と感じたのも、おそらくかれが大きなサンショウウオをみたのが2003年7月20日以前のことだったからではないだろうか。
次に標本のスケールである。政策学科2年の書記さんは、この寸法を聞いて、
「あっ、わたしと同じ!」
と声をあげた。で、わたしが意地悪な質問をした。
「身長143㎝、体重44.3㎏がまったく同じなの?」
彼女は、「いえ、身長だけです」と答えたが、同じ身長の標本と並んでの記念撮影を快く引き受けてくれた。

初回の収穫は大きかった。来週は鳥取城石垣修復現場を見学した後、中世城郭調査について短い講演をしていただこうと思っている。
なお、本日、仁風閣をご案内いただいた市の佐々木さんと松原さんには、この場を借りて篤く御礼申し上げます。また、ひさしぶりに県博の三田館長とも面談でき、幸運でありました。みなさまに感謝いたします!

↑県博で買ったオオサンショウウオのマグネット。結構高いんですよ。さて、いくらだと思いますか?
- 2008/04/18(金) 00:42:53|
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