凱旋帰郷 宗薫との面談を終えると、舌右衛門と伸太はただちに国元への帰途についた。大坂はなにぶん物騒になっているので、まずは海路で播磨の湊津に入り、姫路経由で陸路を北上することにした。
姫路の藩主、池田輝政は池田長吉の実兄である。二人の父、池田恒興は尾張時代から織田信長の重臣であり、本能寺の変の後には秀吉に仕えた。天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いで嫡男の元助とともに討ち死にし、池田家の家督は次男の輝政が相続した。秀吉の時代、輝政は豊臣一族に準じるほど厚遇されたが、関ヶ原では徳川方に与し、戦後、播磨国姫路城52万石に加増された。これに対して、三男の長吉は因幡国鳥取城6万石の加増にすぎず、弟がこれに不満をもっていたとしても不思議ではなかろう。
舌右衛門と伸太は姫路城の威容にみとれながら城下を進んだ。
「同じ池田家でもえらい違いでございますな」
と伸太がぼやく。「門や」という蕎麦屋で、舌右衛門は姫路藩に仕官している兄と落ち合うように連絡をとりあっていた。
池田恒興には輝政と長吉のあいだに生まれた娘がいる。この三女こそが後の天球院である。天球院は摂津三田城の山崎家盛に嫁いだ。もちろん当時は「天球院」とは呼ばれていない。名は不明である。鳥取城の「天球丸」に移ったから「天球院」と呼ばれたのか、天球院という諱(いみな)に因んでに新しい郭を「天球丸」と呼ぶようになったのかはよく分からない。本書では前者の立場をとるが、どちらにしても、この時代の名は不明であり、いまは「鬼姫」と仮称しておく。
関ヶ原の後、山崎家盛は若桜鬼ヶ城3万石に転封され、鬼姫と長吉の姉弟は隣り合う若桜と鳥取にいた、ということになっている。しかし、鬼姫と家盛の不仲は三田城時代から抜き差しならぬものになっていて、鬼姫はすでに若桜を離れ、姫路城の輝政のもとに身を隠しているという風聞が流れていた。不仲の原因は、鬼姫が鬼姫であったからである。鬼姫は、化け猫を退治したり、城に押し入った賊を薙刀でたたき斬ったりする男勝りの孟女であったと言われる。山崎家盛はそういう気丈な性格の鬼姫を毛嫌いし、側室を溺愛した。
舌右衛門の父母は兄夫婦と同居しており、その本家の屋敷に立ち寄って一休みし、土産物でもおいていきたいところだが、マカオ出張の件は密命であり、家族や近臣以外には漏らしていないから、このたびは表敬を遠慮し、ただ兄に会うだけにとどめた。
「父上、母上はお元気にされておられますか?」
「あぁ、元気すぎてまいっておるわ・・・いつまでも子を子どもと思うておる・・・」
「・・・さてさて、お城におわすという鬼姫さまはご機嫌麗しうございますかな?」
「あぁ、姫路城では輝政公も扱いに苦慮しているらしいのだが、最近また若桜に戻られたという噂も聞いておるぞ」
舌右衛門は、ただ天球院の情報だけを聞きたかった。それを聞くために兄を呼び出した。聞きたいことを聞いてしまったので、蕎麦をするりとたいらげ、蕎麦湯を2杯飲むと、ただちに別れの挨拶をした。
姫路から北上し、因幡街道に出る。近畿でいう「因幡街道」とは、因幡では「上方往来」と呼ばれ、後に参勤交代路になる。夕刻、播磨平福の宿に着いた。「雲突城」の異名をもつ利神城の城下を上方往来が貫く町並みのなかにある旅籠に泊まった。裏手には川に沿って酒蔵が軒を連ねており、その酒蔵で造る地酒は辛口のよい味がした。
日があけて、二人は因幡街道をさらに北上した。大原宿から志戸坂峠を越え、智頭宿で昼休み。智頭宿から用瀬宿を経由して渡一ツ木まで馬を走らせ続けた。ここで馬ごと渡し船にのり、千代川を横切る。しばらくすると「お茶屋」があり、倭文まであと2里だということは分かっていたが、伸太が名物の蓬団子を食いたい、というので、馬を休ませることにした。今の河原町大字河原のあたりである。伸太は蓬餅の団子をぱくぱく食べている。
慶長15年9月19日の夕刻、二人は倭文の屋敷に舞い戻った。屋敷中が大騒動になったが、近所にまでその騒動をひろげるわけにはいかない。ただちに馬をおりて駒寄に繋ぎ、二人は茅葺きの棟門をくぐって戸を閉めた。澪は痺れて動かしにくい右足をひきづりながら、母屋の戸口の外まで歩いてでてきた。目を潤ませている。
「殿、ご無事でご帰還、おめでとうございます。先にご一報くださいますれば、食材など早くから用意しておりましたのに。」
「なぁに、みなを驚かせたかったじゃ。子たちは息災にしておるか」
「はい、元気にしております。」
「澪の体はどうなのじゃ。痺れは進んでおるのか?」
「わたしのことなどどうでもようございます」
澪は、ただちに次女を呼んだ。
「これ、美奈、夕食の準備をせねばなりません。さきほど行商の者が通ったでしょう。いまからでも間に合います。あの行商を追って、魚や豆腐を買い足してきなさい」
家の修理役として警護にあたっていたヤス、グスク、ガキも門前に集まり、馬から荷物を下ろして運び始めた。
「利蔵の姿がみえませぬが、どうしたのでございますか?」
とヤスが舌右衛門に訊ねる。舌右衛門は、帰還の日を陰鬱にしてはならぬと、
「利蔵にはマカオでもう一働きしてもらっておる。ねんごろのおなごもできてしもうてな、まだ帰りとうないと申しおったわ」
という嘘で答えた。みなはこの返答に大笑いした。
*『薬研堀慕情』 好評連載中! 「薬研堀慕情(Ⅰ)」鮎の茶屋 「薬研堀慕情(Ⅱ)」紫陽花の散る庭 「薬研堀慕情(Ⅲ)」七夕の黒髪 「薬研堀慕情(Ⅳ)」天の川へ 「薬研堀慕情(Ⅴ)」分身の術 「薬研堀慕情(Ⅵ)」別れの盃 「薬研堀慕情(Ⅶ)」メイドのみやげ 「薬研堀慕情(Ⅷ)」澳門漫遊 「薬研堀慕情(Ⅸ)」曼徳倫の夕べ 「薬研堀慕情(Ⅹ)」伎楼通い 「薬研堀慕情(ⅩⅠ)」ビフォー・アイ・ワズ・ボーン 「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」古本漁り 「薬研堀慕情(ⅩⅢ)」籠の鳥 「薬研堀慕情(ⅩⅣ)」無敵艦隊の実態 「薬研堀慕情(ⅩⅤ)」夜更けのノック 「薬研堀慕情(ⅩⅥ)」赤影見参! 「薬研堀慕情(ⅩⅦ)」冥土のミレット 「薬研堀慕情(ⅩⅧ)」利蔵の死 「薬研堀慕情(ⅩⅨ)」市中の山荘 「薬研堀慕情(ⅩⅩ)」複数の経路 「薬研堀慕情(ⅩⅩⅠ)」知恵くらべ 「薬研堀慕情(ⅩⅩⅡ)」凱旋帰郷 「薬研堀慕情(ⅩⅩⅢ)」膝枕
- 2008/04/24(木) 00:06:48|
- 史跡|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0