膝枕 その晩の夕食は賑やかになった。5人の家族だけでなく、ヤス、グスク、ガキ、伸太もイロリを囲んだ。たいした料理が並んでいないことを、澪はまだ申し訳なさそうにしている。一方、舌右衛門は煮物、カレイの一夜干し、鰯の刺身、焼き椎茸、里芋の汁などをみるだけでウキウキしている。
「わしはな、おまえの煮物があれば、ほかに何も要らん。おまえの大根と厚揚げ豆腐の煮物は世界でいちばん美味い食い物じゃ。澪の煮物を食ってからでないと、あの世へは行けんぞ」
「このまえは蕎麦と秋刀魚を食べてから死ぬ、と申されておりました」
「あぁ、それも悪うない」
伸太が口を挟んだ。
「ポルトガル料理の鰯焼きは食い飽きましたが、同じ鰯でも刺身にすると、また違いますな。生姜醤油によう合いまする。こういう味が中国人や南蛮人には分からぬものでしょうか?」
「イロリで焼く椎茸も生姜醤油によくあうな。むろん酒によくあう」
「カレイの一夜干しもたまりませんな」
舌右衛門は大工の3人に修理の状況を聞いた。グスクが代表して答える。
「屋根、壁の修繕、屋敷まわりの石垣の修復も終わりました。時間ができましたので、少々遊ばせていただいております。」
「なんじゃ?」
「屋根裏に部屋を作らせていただきました。いま、ヤス、ガキと3人で住んでおります」
「おう、そういう屋根裏部屋を西洋ではロフトというのじゃ。どうじゃ、住みよいか?」
「はい、夏は暑いかもしれませんが、冬は下の畳間より暖かいのではないか、と期待しております。それになにより、敵方が屋根裏に忍びいるおそれがなくなります。逆に、こちらはいつでも屋根の上にあがって周辺を見通せますゆえ、家の警護に適しております」
「賊が押し入ってきたのか?」
「いえっ、怪しい者はついにあらわれませんでした」
話は弾んだが、長旅に体は疲れており、舌右衛門は満腹感もあって眠気を覚えた。「悪いが、先に休ませてもらうぞ。皆はいましばらく酒を飲んで、伸太の土産話でも聞くがよい」と伝え、ひとり奥座敷に消えていった。
澪が布団と枕を奥座敷に運んできた。舌右衛門はすでに泥酔して、畳に寝ころんでいた。酔った声で布団を敷く澪に命じる。
「澪、膝枕・・・」
「・・・あっ、しばらくお待ちくださいな」
布団を敷き終えた澪は、右足が痺れて正座できないので敷布団にお尻をおろし、両足を前に伸ばして舌右衛門の頭を膝にのせた。
「こうしてな、おまえの膝に頭をおいて横になり、ぼんやりしていると、母の胎内に戻っていくような気持ちになる」
「あら、わたしはあなたの母さまではございません。わたしはあなたの妻にございますよ」
「・・・・それだけ気持ちが安堵して落ち着くと言いたいのだ。とにかく、おまえの膝枕が一番じゃ」
舌右衛門は心底、気持ちが和らいでいる。澪は、そんな舌右衛門に甘えるように逆らってみた。
「わたしの膝が一番ということは、二番や三番の膝があるということでございますな? マカオではまた散々、茶屋遊びなどされたのでしょう??」
「・・・あれは仕事だからな。茶屋に行かねば情報が集まらぬのだから、いやでもやらねばならんのだ・・・・男はつらい」
「異国の膝はまた違いまするか?」
「まぁよいではないか、・・・・ともかく、これは正室の膝であるからな」
「あらら、いつ側室がおできになったのでしょうか?」
「側室と呼べるおなごがおって赤子が産まれたらどうする、可愛がってくれるかの?」
「なんの、苛めてさしあげます」
「あな恐ろしや・・・細いことを言わずにな、人類愛をもって子どもに接せよ・・・」
「ほんに赤子を作られましたのか?」
「阿呆な・・・仮の話をしておるだけじゃ」
「今日は何を言われても嬉しうございます。こうして澪のところに戻ってきてくださいまして、・・・・・」
と澪が語りかけたとき、舌右衛門はすでに眠りに落ちていた。澪は静かに膝から頭をはずし、舌右衛門の頭に枕を差し込み、掛け布団をかけた。
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- 2008/05/01(木) 00:48:35|
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