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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅩⅣ)

若桜の着兵衛

 翌日、舌右衛門は城に出仕した。担当の奉行に「国元に戻りました」とだけ伝えると、しばらくして、その奉行から「おって藩主よりお召しがあるだろうが、最近は病気がちなので、面会は遅れるかもしれん」との沙汰をうけた。
 その奉行は、舌右衛門が江戸に内地留学してきたものだと思っている。藩主と一部の重臣だけが幕府の密命を知っていた。 
 舌右衛門は城中でとくに用もないので、作事方の清水多久左右衛門を冷やかしに行った。一緒に昼飯を食おうということになり、お濠端の蕎麦切り「たかや」で待ち合わせた。舌右衛門は無類の蕎麦好きで、もりの大盛りを食べているだけですこぶる機嫌がよい。血圧が少し高いので蕎麦は良い薬にもなる。蕎麦湯を飲みながら、話が弾んだ。

   「これほどの長旅になるとは思っておりませんでした。さぞかしお疲れのことと存じます」
   「いや、まぁ、いろいろあったが、おもしろかった。くわしいことは、また高堂も招いて一献傾けるときにでも話してしんぜよう」

 高堂という名を聞いて、多久左右衛門にある記憶が蘇った。

   「そう言えば、薬研堀の茶屋から鮎どのが消えてしまいました!」
   「えっ、なんでまた・・・・」
   「二十日ばかり前、高堂と二人で茶屋に行ったのでございます」

 「多久左・・・」と声をかけながら、舌右衛門は弟子の顔をみずに言葉を続けた。

   「わしのボトルをあけたのか」

 多久左右衛門は笑って誤魔化すしかない。
  
   「あはは、あははっ・・・スコッチをすこっちだけ頂戴いたしました、だはは」
   (人の芸をとりおって・・・)
   「それで、鮎どのの姿が見えませぬゆえ、女将に訊いたところ、体調が悪いのでしばらく休むことになった、と申します」
   「病なのか?」
   「それが美雪どのやほかのおなご衆に訊きましたところ、鮎どのと女将が喧嘩して、鮎どのが茶屋を辞めたのだと言うのです」
   「あのな、前にもそういうことがあったのじゃ。あの姉妹は仲がよいのか悪いのか。1年ほど前にも喧嘩して、鮎がひと月ばかり茶屋を休みおった。また、ひと月かふた月もすれば、戻ってくるのではないかの」
   「それならよろしうございますが」  
   「まぁ、近いうちに行ってみよう。土産物も届けねばならんしのう。高堂と日取りを案配しておいてくれ」
   

 その6日後、舌右衛門は弟子の清水多久左右衛門、岡村高堂と料亭「飛鳥」で落ち合った。いつもの2階座敷にポルトガル・ワインをもちこんでの酒宴である。高堂がワインの味に唸っている。

   「殿は、かように妙味の酒を毎晩飲まれておったのですか?」
   「晩に限らぬ、葡萄酒は昼でも飲む。食事には欠かせぬ飲み物である」
   「うぅ~ん、この泡の感触がたまりませんな・・・魚とも味がよう合いますし」

 多久左右衛門もまた白い発泡性の葡萄酒が気にいり、気が付けば2本のボトルが空になっていた。ただ、高堂も多久左右衛門も天井が気になって仕方ない。

   「なにやら、今宵は天井がミシミシしておりますな。利蔵はマカオで食べ過ぎて太ってしまったのではありませぬか?」

と訝しがっている。舌右衛門は真実を話すことにした。

   「利蔵はマカオで討ち死にした・・・」

 弟子の二人はその言葉に驚いた。赤影の襲来から利蔵の埋葬に至るまでの経過を真剣に聞いている。そして、

   「では今宵、天井裏におるのはだれなのございますか?」

と高堂が訊ね、舌右衛門が「ヤスじゃ」と答えると、弟子の二人はプッと吹き出した。

   「あれは忍びのなかではいちばん重い輩ではございませぬか。25貫(×3.75=93.75㎏)もある巨漢が天井の上におるわけですな。あの大食らいが腹も減らしておることでございましょう、さきほどから腹の虫の音がグゥグゥ聞こえて参ります」

と高堂が言えば、

   「グスクはどうしたのですか。グスクなら、屋根裏に潜んでも音は立てますまいに・・・」

と多久左右衛門が問う。

   「それがな、グスクもガキも今宵はおなごと逢うらしくての、ヤスしかおらんのよ・・・」
   「天井板はもちますかな?」
   「梁の上に俯せになって梁に抱きついておればよいのだが、窮屈しておるであろうな。つい最近も、倭文の家で囲炉裏間の床板を抜きおったのよ。どこで術を学んだのか、ヤスはスキップのようにして飛び歩く癖があり、着地の瞬間、床板がバリッと破れてしもうたわ」
   「根太の上を歩けば、そのようなことにはなりますまいに」
   「そうなのだ、根太の上をスキップすればよいのに、根太と根太の間をスキップするから、床板が破れてしまうのだわ」

 床下に潜む伸太も、この話を笑いながら聞いている。舌右衛門は話題を変えた。

   「今宵は、もう一人、弟子を招いておる。藩校の後輩で、嶋田着兵衛という若者がおったのを覚えておらぬか」
   「あぁ、たしかチャックという愛称で親しまれておりましたな」
   「そうじゃ。あれがな、今は若桜鬼ヶ城に奉公し、勘定方で働いておる。おそらく、まもなくあらわれるであろう」
   「着兵衛も忍びの仕事をしているのでございますか」
   「いや、忍びではないが、草のような仕事をしてもらっておる」

  草とは、敵方の家臣として生まれ育ちながら、間諜の仕事をする忍びのことをいう。とくに、忍術の訓練をうけているわけではないが、主君や重臣に可愛がられるような資質と演技力が必要とされる。

   「あの者は上役から可愛がられるでしょうから、草として適役でございますな」

と多久左右衛門が話しているところに、座敷の襖がさっと引き開けられた。

   「殿、お久しぶりにございます。嶋田着兵衛、若桜からただいま到着いたしました」



*『薬研堀慕情』 好評連載中!

    「薬研堀慕情(Ⅰ)」鮎の茶屋
    「薬研堀慕情(Ⅱ)」紫陽花の散る庭
    「薬研堀慕情(Ⅲ)」七夕の黒髪
    「薬研堀慕情(Ⅳ)」天の川へ
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」分身の術
    「薬研堀慕情(Ⅵ)」別れの盃
    「薬研堀慕情(Ⅶ)」メイドのみやげ
    「薬研堀慕情(Ⅷ)」澳門漫遊
    「薬研堀慕情(Ⅸ)」曼徳倫の夕べ
    「薬研堀慕情(Ⅹ)」伎楼通い
    「薬研堀慕情(ⅩⅠ)」ビフォー・アイ・ワズ・ボーン
    「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」古本漁り
    「薬研堀慕情(ⅩⅢ)」籠の鳥
    「薬研堀慕情(ⅩⅣ)」無敵艦隊の実態
    「薬研堀慕情(ⅩⅤ)」夜更けのノック
    「薬研堀慕情(ⅩⅥ)」赤影見参!
    「薬研堀慕情(ⅩⅦ)」冥土のミレット
    「薬研堀慕情(ⅩⅧ)」利蔵の死
    「薬研堀慕情(ⅩⅨ)」市中の山荘
    「薬研堀慕情(ⅩⅩ)」複数の経路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅠ)」知恵くらべ
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅡ)」凱旋帰郷
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅢ)」膝枕
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅣ)」若桜の着兵衛
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅤ)」十字架の茶室




  1. 2008/05/02(金) 11:49:34|
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