
作戦を練るのが甘かった。まだだれにも言っていないのだけれども、26日(土)の夜、わたしは松江にいた。夕方まで寺町の下宿で練習し、夜になってから車で松江に移動したのである。なぜ松江に泊まったのか、というと、自分が設計監理した「八雲立つ風土記の丘」の奈良時代
復元建物(庶民住居)が竣工しているはずで、それをひと目見たかったのだ、情けないことに・・・
27日の朝、寝坊して駐車場料金を200円余計にとられた。米子に12時集合だというのに、ホテルのチェックアウトは10時半になってしまい、残された時間があまりにも短い。車を飛ばして「八雲立つ風土記の丘」へ。天気は最高、路ばたに躑躅が咲き乱れている。広場ではゴールデン・ウィークの余暇を過ごす子ども連れの家族や老夫婦がぽつりぽつり。2004年に訪れたイングランドの遺跡風景を思い起こした。遺跡を利用する人が多ければいいというものではない。
復元建物は竣工していた。出来がよいのかわるいのか、わたしには判断できない。評価は第3者にゆだねるしかない。チラシのような説明書を貼り付けた仮の案内板が立っていたが、建物のまわりにロープがめぐらされ、中には入れなかった。展示館に立ち寄って、旧知の方々に挨拶さえすれば、なんの問題もなく、建物の内部をみせていただけただろう。しかし、時間がない。ここは急ぐしかない・・・と思いながら、すぐ近くにある神魂神社に久しぶりに参拝したくなって、それを実践し、おかげで、社務所に貼ってあった出雲大社遷宮のポスターをみてしまった。
ここで、わたしの運命は転変する。そういえば、ご神体を仮殿に遷した出雲大社の本殿をGW中に公開しているではないか。なぜ気がつかなかったのだろう。あらかじめ気づいていれば、最初から大社本殿視察を含んだスケジュールを組めたのに、自分が設計監理した建物のことで頭がいっぱいになってしまっていたのである。

高速を飛ばし、12時に米子駅前のカントリー・パブハウス「
夢」についた。六弦倶楽部第6回練習会の会場である。代表を始め、メンバーはまだ数人しか来ていない。わたしは急ぎ104を通して出雲大社の電話番号を調べた。そして、社務所に電話し、旧知の某宮司様に電話をとりついでいただいた。受付は午後3時半までだが、午後4時までに来られるならば、ご案内いただけるというお返事をいただき、わたしはチョトロク代表に頭を下げた。練習会を午後2時すぎに抜けさせていただきたいので、できれば早めに演奏させてください、とお願いしたのである。代表ほか皆様には、わたしの我が儘をお許しいただいた。
このほかにも、いろいろチョンボをしている。チューニング・メーターの電池が切れてしまってmifuさんにお貸しいただいたり、足踏み台を地下駐車場の車内に置き忘れたため、パブのマダムに廃棄物となる直前の風呂椅子を貸していただいたり、代表に10部おわたししようとしてもってきていた加藤家の
パンフレット(
第4回練習会の写真が3枚掲載されている)をやはり車内に忘れてしまったのであった。神魂神社でわたしの頭のスイッチは「風土記の丘」から「出雲大社本殿」に切り替わってしまい、他の大半の事象がデリートされてしまったのである。


チョンボといえば、なによりかにより京都経由で鳥取に戻る際、ホセアントニオを奈良の
自宅に置き忘れてしまったことのダメージは計り知れない。このたびの練習会では、高価18,000円のエレガットで挑むことになった。演奏する曲の目玉は「サンバースト」である。わたしは完全なアンプラグドで「サンバースト」が演奏したかった。加藤家住宅では「マーリーの亡霊」をそうして演奏したのだから、パブ喫茶でもできるだろうと信じていたのだが、エレガットは鳴らなかった。途中で、いちどやり直し、代表にマイクをセットしていただいた。申し訳ありませんでした。(続)

↑神魂神社で発見した出雲大社遷宮のチラシ。このチラシに公開の日程は書いてない。チラシが記憶を呼び覚ましたのである。
- 2008/04/27(日) 23:52:46|
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