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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

中坂を往く -魔法の「昭和の日」(Ⅰ)

吉川像の前01

 4月29日は子どものころ「天皇誕生日」として国民の祝日であった。今では何と言う休日なのか知らない。さきほどみたTVニュースで「昭和の日」だと言っていた。初耳である。「昭和の日」があるのなら、「大正の日」や「明治の日」があったって良いと思うのだが、現実にはないのだから、「昭和の日」がなければならない理由はない。先日も「飛鳥」のオヤジが「休日が多すぎる」とぼやいていた(最近、巨人が弱すぎて機嫌が悪い)。わたしは二人の子どもを大学に通わせているが、GWのスケジュールは真反対で、姉の大学では全休、弟の大学では全出である。環境大学はというと、28日(月)のみ授業あり、以下休日(職員は出勤)。
 今年の「昭和の日」は素晴らしい快晴であった。13時県庁集合。わたしはジャージ姿でビアンキに乗り県庁へ。すでにP1&3の大半のメンバーが集まっていた。27日に「決死隊」として登山した1・2年生2名(1名さぼり)をのぞく7名の1・2年生に加え、3・4年生も4名加わった。新3年生も全員集合。まずは、前夜、4年の部長とエアポートが作成してくれた地図等の資料と画板を全員に配布。

県庁集合01


   「今日の山登りの目的は山登りにあるのではないよ。久松山に登ることに
    よって、久松山という城跡の自然と歴史に関するデータをえることが山登り
    の目的です。だから、配った資料にたくさんメモを書き込んで! 写真を
    撮った位置。珍しいものを発見した記録などね。こういうフィールドワークを
    することが今日の目的です」

と、いきなりお説教がましいことを述べた。27日の「西坂」登坂記事を反面教師としないければならない。決められたコースを歩き、「修験道のような登山」だと言って感想を述べても、なんの意味もない。どこに石垣の痕跡があり、どこに瓦片が落ちていて、水場や抜道をどういうふうに確保して、どんな植生に囲まれていたのか、記録すべきことは山ほどある。山登りをしながら、その「山ほどある情報」を記録にとっていない。2期生二人には面倒をかけたが、卒業後3年めの大先輩が引率しながら、引率された1・2年生が可哀想に思えたのである。

衣川先生と01

 「昭和の日」、二の丸と天球丸の間の道を登りはじめた。上月棟梁のプレハブの前で、いきなりK教授にばったり(↑)。幸先のよいスタートを切った。まずは二の丸で市街を俯瞰。そこから、全員が大手にあたる「中坂」を上って山頂の天守跡に至り、「十神林道」班と「長田神社」班に分かれて山を下りた。各班のメンバーは、デジカメ撮影担当と地図への書き込み担当に分かれた。あとで長野県からきたMさんの書き込み地図をみせてもらったが、1年生とは思えぬ立派なものになっていた。また、兵庫県から来た同じ1年生のIさんは分厚い植物図鑑を持参していた。入学したての学生諸君がこれだけの準備をし、きっちりとした記録とりをしてくれたことがわたしはとても嬉しい。
 さて、2班の構成を記しておく。

   長田神社班: 2年Kさん・Kくん・Yくん、3年Oくん・Kくん・Uくん、4年部長
   十神林道班: 教員A、1年Iさん・Mさん、2年Oくん

 十神(とがみ)林道班の人数が少なかったのは、班分けの際、GW帰省する県外出身者で構成したことと、迎えのノビタ車に乗れる人数に制限があったためである。
 以下、じゃんけんに負けた各班代表者のレポートを2回にわけて記す。

5合目01中坂大権現01郭
↑↓5合目の「久松中坂大権現」と周辺の郭?
中腹の神社01浅川01



9合目01擁壁02

9合目01擁壁01


長田神社班
 プロジェクト研究1・3の演習で久松山の散策をしました。先日、【決死隊】と呼ばれる班の方々が散策されましたが、今回は2班が別々の登山・下山ルートで散策しました。別々といっても、登りと下りの一部は一緒でしたが…。
 登山道は傾斜が急で、「山上ノ丸(さんじょうのまる)」と呼ばれる天守の遺構に着く頃には両足がガクガクでした(汗)。途中には抜道?らしきものが至るところに在りました。また「久松中坂大権現(きゅうしょうなかざかだいごんげ)」と呼ばれる神社も在りました。この神社の幕には鳥取藩池田家の家紋である揚羽蝶が描かれていました。また、郭(くるわ)の石垣の名残とおもわれるものが点在していました。中には、成長した樹木の根によって確認しにくいものもあり、なかなか風情のある風景となっていました。しかし、そんな風景にそぐわない物もありました。それが、この砂防用のコンクリート擁壁(↑)です。中世・近世に心を傾けても一気に現実に連れ戻されてしまいます。とても、残念でした・・・

太閤の濠

 下山の際は、2班が別々のルートを散策しました。私の班は「長田神社(ながたじんじゃ)」行きのルートでした。このルートの途中には先週のレクチャーで教わった「寺屋敷の横堀」が確認できました。秀吉が陣を構えていたのではないかと報道された名物遺構です(↑)。レクチャーで写真を拝見させてもらいましたが、実際に目の当たりにすると見事なものでした。「百聞は一見に如かず」という教えは嘘ではないようです。また下り進んでいくと池を発見しました(↓)。透明度の低い池です。残念ながら、オオサンショウウオは確認できませんでした。
 今回の散策では、漫画「魔法の山」に出てくるような横穴は発見できませんでした。しかし、プロジェクト研究発表会までにはそれらしきものを発見してみたいものです。あわよくば「祠様」も…。(環境政策学科 2年K.U)

池


山上01瓦ひろい
「これ、瓦など拾うでない! 文化財保護法で罰せられるぞ!!」




  1. 2008/04/30(水) 00:14:31|
  2. 史跡|
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