郭の天主閣 着兵衛の指摘は正しい。西洋天文学にくわしい舌右衛門からみれば、天球丸という郭の名は、キリスト教的世界の表現以外のなにものでもない。
「とすれば、わたしが加工している建物は八角円堂ではなく、・・・」
と高堂が語り、
「天主堂ということでございますか?」
と多久左右衛門が舌右衛門に問うた。舌右衛門は肯きながらも、少しだけ首を横にふった。
「高堂が加工している材の寸法を聞く限り、平屋の天主堂というよりも、2階建の天主閣とよぶべき高層建築ではないかの・・・」
「天守閣ではなくて、天主閣?」
「さようじゃ」
「櫓のような教会が天球丸に建つのでございますか」
弟子の3人は、ようやく師匠が思い描く筋書きの全貌をとらえつつある。すなわち、鳥取城藩主の池田長吉は、若狭鬼ヶ城に住む隠れキリシタンの妹「鬼姫」を城内に迎えるために天球丸の普請を始め、その郭のなかに高層の教会である天主閣を建てようとしている、というわけだ。いつもは穏やかな多久左右衛門がやや興奮気味に問う。
「この、伴天連追放令がでている世の中で、キリシタンであることを公言するような郭を造営すれば、徳川幕府が黙っているはずはありません。このまま普請を進めれば、お家取りつぶしは必定。長吉公はいったい何を考えておわしますのでしょうか!?」
舌右衛門は少し間をおき、仕方ないか、という顔をして自らの推量を開示した。
「池田長吉は大坂方に付こう、としているのであろう」
同じ池田恒興の子でありながら、次男の輝政は姫路52万石、長吉は鳥取6万石。長吉にしてみれば、このまま徳川方であり続けても、死ぬまで出世は望めない。冷飯食いの小大名で終わるだろう。人生の最後に一か八かの賭けに出ようとしているとしても不思議ではない。
「池田家はな、権力の変化をみる目先が肥えておる。それで、ここまで生きながらえてきたのじゃ。もとは信長の重臣であったに、本能寺の変の後には秀吉の家臣となり、秀吉に寵愛されたにも拘わらず、関ヶ原では徳川についた。長吉は、おそらく家康の死後を睨んでおるのであろう」
「大御所さま亡き後は、伊達政宗がこの国を支配するという見通しですか?」
「たしかに、将軍秀忠と政宗を比べれば、政宗が一枚も二枚も上手だがな・・・家康がいますぐ死ぬならいざしらず、この世におる限りは政宗とて家康の敵ではない」
それにしても分かりませぬ、と着兵衛は言う。
「隠れキリシタンの鬼姫さまを若桜城主の山崎家盛さまがお嫌いになるのは分かるとしても、ご離縁ということでしたら、姫路の輝政公がお預かりになるのが筋ではございませぬか」
「だから、姫路も往生しているのよ。輝政は家康から52万石に加増された身分なのだから、徳川に対して不満はない。そこに隠れキリシタンの妹をかくまうなどということが幕府に知れたら、52万石がお取りつぶしじゃ。おそらく長吉に相談をもちかけたのであろうな。新しい郭を普請する資金は姫路で調達するゆえ、なんとか鬼姫を鳥取であずかってくれんか、とな」
「しかし、だからと言って、鬼姫さまを鳥取藩が受け入れたとなると、こんどは鳥取藩池田家がお取りつぶしになりまする・・・」
「たぶん鬼姫のところには、早いうちから密書が届いておったのであろう。だれが差し出し人かは分からぬが、おそらく相当有力な人物から、キリシタン大名の一族として兄か弟を引き連れ大阪に入城せよ、と書いてあったのではないか」
「その書状を輝政さまは忌み嫌い、長吉さまは歓迎されたと・・・」
「ではないかの・・・大坂方勝利の折には、長吉を大きく加増し、京か大坂の近くの藩に転封させるという約束があるかもしれん」
舌右衛門は、以上は憶測でしかない、と繰り返した。たとえ憶測ではあれ、師匠の話は弟子たちを仰天させ続けた。これから国元でおきるであろう大きな騒動の予兆を、3人は知ってしまったのである。
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- 2008/05/05(月) 00:02:01|
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