天球院入城 舌右衛門が藩校を休職していたほぼ一年のあいだ、城内に台風が吹き荒れていた。まず、若桜鬼ヶ城から鬼姫が鳥取城の天球丸に移り、正式に「天球院」と号した。ここに台風の目がある。
台風の目では風が吹かない。重臣たちは鬼姫の受け入れに異論を唱えなかった。天球院を受け入れることで、姫路から城郭整備の経費が出資されるという条件は悪くないからだ。鬼姫が天球院として鳥取城に入るころ、天球丸の造営は六割方片づいていた。
しかし、八角円堂風の高層建築の建設は「保留」とされたまま動かなくなった。慶長十七年の四月、藩主の池田長吉は天球院がじつは隠れキリシタンで、八角円堂風の建築が「天主閣」と呼びうる高層建築であることを重臣にあかした。その目的が、キリシタン大名として大坂方に付くことであることは言うまでもない。
重臣たちはこぞってこれに反発した。長吉の意向は徳川幕府に対する謀反にほかならない。徳川家康を敵にまわすことの恐ろしさを、どの重臣もよく知っている。ふだんは藩主に媚びへつらう親長吉の一派でさえ、江戸を裏切り、大坂に付くという長吉の決断を受け入れることはできなかった。
長吉は頑なに持論を主張し続ける。
「わしも四十三歳になった。人生五十年、残された時間は短い。このまま因幡の田舎大名として一生を終えることに耐えられぬ。こんどの大坂の陣は、勝っても負けても、わしにとって辞世の戦になる。わしは姫路に劣らぬ城が欲しい。たしかに、家康は手強い。が、家康とてまもなくあの世に召されるであろう。そうなれば、天下の形勢は伊達になびく。家康の六男、松平忠輝も伊達と組んで、大坂城に入ると言うておる。それにキリシタン大名であることによって、イスパニアが身方につく。いまにみておれ、難波と鳥取の湊をイスパニアの軍艦が往来するようになるぞ!」
主君と重臣・側近の評定は、山上の二の丸でおこなわれる。山上の丸からは日本海があたかも目の前にあるようにみわたせる。長吉は、その港湾にイスパニアの軍艦が停泊する日を夢見ているようであった。
通常の評定では、長吉が意見を述べると、大半の重臣は沈黙し、ごく少数の血気盛んな者だけが反論を述べる程度だが、この大博打ともいうべき長吉の暴挙に対しては、重臣一同が大反対で、評定の前から重臣同士で内々に打ち合わせを重ね、評定の場では何人もの側近が反論を申し述べ、諫言を繰りかえした。
「仙台の伊達政宗さまが謀反を起こされるという保証はございませんし、かりに謀反に走られたとしても、徳川幕府に勝利する可能性は高くはありません。殿にとっては、大坂の陣は最後の戦かもしれませんが、家臣数百名には未来があります。殿に対する忠義の心は、もちろん、みな深うございますれども、あえてお家断絶の道を歩む必要などないではございませぬか。それよりも、幕府方として功をあげれば、鳥取藩6万石から加増され、どこぞ気候のよい地へ転封になることもありえましょう。ここは家臣数百人が無駄死にしたり、禄を失わぬようにするのが主君の務めではございませぬか」
長吉の嫡男、長幸までもが長吉の暴挙を諫めた。長吉は重臣や嫡男まで敵にまわしても、なお、自分の練った策略を貫徹しようとしている。
「うぬらは何も知らん。姉上のところには秀頼君からの密書も届いておるしな、伊達どのや他のキリシタン大名とも密に連絡をとりあっておるのだ。まもなく伊達どのは、ローマ法王とイスパニア国王に使節を派遣されるのだぞ。それは、イスパニアの無敵艦隊を連れて帰るための使節なのじゃ。イスパニアの無敵艦隊があらわれれば、徳川幕府など木っ端微塵じゃ。そのときのためにも、キリシタン大名となっておかねばならんのだぞ。よいか、ともかくな、わしの言うことを聞いておれば、バラ色の未来が開けてくるのだ!」
と強気の態度を崩さない。
が、重臣たちの反発は予想を超えて強烈であり、その一つの妥協案として「天主閣」の建設をしばらく保留することになった。というよりも、長吉が造営を命じても、家臣が従わぬという事態にまで問題はこじれつつあった。長吉としては不服ではあったが、「天主閣」建設は大坂の陣に勝利してからでも遅くない、という家臣の意見に理があったのである。
ところが、これに天球院が不満を示した。
「若桜も厭じゃが、鳥取に住みたいわけではない。わたしは姫路にいたいのに、鳥取に移ることに同意したのは、天球丸という郭に大きな教会を建ててくれるという条件を呑んだからじゃ。にも拘わらず、それを普請せぬとは約束違反ではないか」
天球院に対しては、嫡男の池田長幸が説得にあたった。
「伯母上さま、いま天球丸に大きな教会堂を建ててしまうと、幕府に対しても、家臣・領民に対しても謀反を公言するようなものでございます。大坂の陣が終わりましたら着工に遷らせますゆえ、もうしばらくお待ちくだされ」
と延べ、さらに、
「天主閣が竣工するまで辛抱していただくために、若桜から天久庵を移築いたしましょう」
と提言した。天球院はこの提案をしぶしぶ受け入れた。
若桜鬼ヶ城では、山崎家盛が鬼姫に関わるあらゆる物品の処分を進めていた。奇妙な茶室「天久庵」も早々に解体され、部材を焼却する寸前であったが、鳥取藩の申し入れにより、部材一式を譲りわたすことになった。
若桜城の茶室「天久庵」は、鳥取城天球丸の片隅に移築され、元どおりの姿に復元された。ただ、素木の扁額だけは新調された。新しい扁額には「天球庵」の三文字が墨書された。
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- 2008/05/07(水) 00:36:27|
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