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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅣ)

伊賀者の末路

 舌右衛門は藩主の池田長吉と会ったことがない。マカオから帰国の後、マカオでの活動を文書で報告していたが、とうとう長吉に呼びだされることはなかった。もちろん山上の丸での評定に加わったことなど一度もなく、このたびの出席依頼には驚いたが、いずれこの日が来るであろうことも予期していた。
 舌右衛門は澪にこの件を伝えた。最初の脳内出血からすでに一年半が経過しており、この半年のあいだに澪は順調に回復し始めていた。右半身の麻痺は進行し、歩行には杖が必要で、右手はほとんど動かず、右眼の視界も狭くなっている。しかし、言葉をよく話すようになった。そして、記憶もかなり戻ってきている。舌右衛門が、

   「山上の丸で、ついに藩主と意見を交えるときがきた」

と言うと、澪はやさしく微笑んで、

   「あなたは負けないでしょう。自信をもって評定に臨まれませ。澪も見守っております」

と述べて、舌右衛門を勇気づけた。

 慶長十九年(1614)五月十日の午後、山上の丸での評定が始まった。山上二の丸大広間の会議の場で、田中という家老が広縁で待機する舌右衛門を部屋に呼び寄せ、一通りの紹介をした後、舌右衛門は型通りの挨拶をして末席に着座した。
 いきなり、長吉が強烈なジャブを飛ばしてきた。

   「下呂どの、そなたは京ではそこそこ名の知れた漢学者らしいが、伊賀者を雇っておるらしいな。漢学者がなにゆえ伊賀者を養っておるのかな?」
   「あの者どもは伊賀者というよりも、元伊賀者と呼んだほうがよろしい者どもでございます。織田信長公が伊賀討伐をされた際、服部半蔵一門のみ家康公がそっくり抱え込んで今に至っておりますが、その他の忍びは皆殺しに近い惨状でした。それでも、討伐から逃げ落ちた忍びもおりまして、京や大坂で乞食同然の生活を営むようになったのでございます。わたしは京で漢学を学んでおりまして、まだ少年だった元伊賀者数名と河原で知り合いました。以来、かれらと付き合うようになりました。鳥取に移封になるおり、京で乞食をするか、因幡で下男をするか、と問いましたところ、5人の若者が因幡に行くと答え、わたしに付いてまいりました」
   「伊賀者と付き合う理由は何なのか」
   「忍術に興味があるのでございます。忍術の起源は、密教や修験道の呪術にあると言われておりまして、古代の印度仏教を学んでおった関係上、伊賀者がどのような修行をしているのか、知りたかったのでございます」
   「藩校の学者ではたいした禄もなかろうに、どうしてその者どもが養えるかな」
   「普段は下男と同じ扱いにございます。倭文の屋敷まわりの田畑や、妻の実家の田畑を耕作いたしますし、屋敷内では薪割、風呂焚き、洗濯、家畜の世話など、なんでもこなします。そのような作業に対して飯を食わせ、寝場所も用意してやりますが、給金と呼べるようなものは与えておりません。ただし、あの者どもは大工の技術をもっておりますゆえ、民家の普請などを依頼された場合は仕事にみあう給金を与えております」


 ここで、長吉はいったん話を切った。その後、舌右衛門を睨みなおし、詰問を再開する。

   「ふた月前のかわら版事件は、そちが養っておる伊賀者の仕業ではないか、と申す者がおるのだ」
   「いえ、めっそうもございません。なにか証拠でもございますでしょうか。わたくしは藩校の同僚にあのかわら版をみせられ、ただただ驚きました」
   「富士屋という刷り物屋で、そちが養う伊賀者のひとりが働いておるの?」
   「はい」
   「富士屋の主は宮部の遺臣というではないか」
   「と、聞いておりますが・・・それが、なにか」
   「あのかわら版を刷ったのは富士屋で、鬼の面を被ってかわら版を売り捌いたのは伊賀者ではないか、とわしの手の者が報せて参った」
   「なにか証拠があっての報告でございましょうか、それとも、ただの推測でございますか」
   「うぬがシラを切るというのなら、それも結構だが、いずれ富士屋と伊賀者を拷問にかけることになるかもしれん。そのことは覚悟しておかれたい」
   「・・・・」

 長吉が最初から、あまりにも高飛車で攻撃的な態度で詰問するので、嫡男の長幸は驚き、

   「今日、下呂どのを評定に呼びましたのは、かわら版の件を問うことが目的はございませんぞ。下呂どのがマカオでどのような見聞をえてきたのか、それをお聞きするためでございます。かわら版の件は町奉行に任せておけばよいことでございまして、下呂さまには今日の本題について語っていただきましょう」

と長吉を諫めた。重臣の大半も長幸の意見を支持した。長吉以外の出席者は、舌右衛門がかわら版の主犯だとすれば、それは褒めるべきことだと思っている。舌右衛門は、その空気を読んでいた。しかし、長吉が舌右衛門の周辺について、思いの外、深く洗い出していることが気にかかった。いったい、どのルートを使って、これだけの情報を集めたのか。最近は割烹や茶屋に出入りしているわけでもなく、倭文の屋敷は3人の忍びが警護を固めている。長吉がどういう情報網を使っているのか、よく分からない。油断できない権力者だと舌右衛門は思った。


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    「薬研堀慕情(Ⅰ)」鮎の茶屋
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    「薬研堀慕情(Ⅲ)」七夕の黒髪
    「薬研堀慕情(Ⅳ)」天の川へ
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」分身の術
    「薬研堀慕情(Ⅵ)」別れの盃
    「薬研堀慕情(Ⅶ)」メイドのみやげ
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    「薬研堀慕情(ⅩⅠ)」ビフォー・アイ・ワズ・ボーン
    「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」古本漁り
    「薬研堀慕情(ⅩⅢ)」籠の鳥
    「薬研堀慕情(ⅩⅣ)」無敵艦隊の実態
    「薬研堀慕情(ⅩⅤ)」夜更けのノック
    「薬研堀慕情(ⅩⅥ)」赤影見参!
    「薬研堀慕情(ⅩⅦ)」冥土のミレット
    「薬研堀慕情(ⅩⅧ)」利蔵の死
    「薬研堀慕情(ⅩⅨ)」市中の山荘
    「薬研堀慕情(ⅩⅩ)」複数の経路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅠ)」知恵くらべ
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅡ)」凱旋帰郷
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅢ)」膝枕
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅣ)」若桜の着兵衛
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅤ)」十字架の茶室
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅥ)」地球と天球
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅦ)」郭の天主閣
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅧ)」鮎のいない茶屋
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅨ)」田七人参
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩ)」天球院入城
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅠ)」天下分目
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅡ)」富士屋のかわら版
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅢ)」賞金首
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅣ)」伊賀者の末路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅤ)」幕府の間諜


  1. 2008/05/11(日) 00:31:48|
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