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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅤ)

幕府の間諜

 嫡男の長幸は、父親の態度を謝罪するかのように、やんわりと本題の質問に移り始めた。

   「下呂どのは慶長十五年の秋にふた月近く、マカオに出張しておられますが、それはどういう経緯であったのでございますか」
   「はい、駿府の大御所さまからの依頼でございました。南蛮は南蛮が強いと言い、紅毛は紅毛が強いと言うが、いったい西洋の事情はどうなっているのか、最新の事情を調べてきてほしい、という依頼でして、藩主の長吉さまには柳生宗矩さまから派遣の許可を求める書状を送られたと聞いております。」

 ここで長幸は父親の顔を覗きこんだ。長吉は、その通り、という顔をしてみせた。結局、何が分かったのですかな、と長幸は質問を続ける。

   「まずはイスパニアの無敵艦隊の実態を知りました」

と舌右衛門は答えた
 ここで長吉の表情はくすみ、重臣一同は目を見開いた。舌右衛門は、サラと二人で学んだ内容をそのまま伝えた。すなわち、アルマダの海戦でスペインの大艦隊は壊滅的な打撃をうけ、イギリス人がその弱さを揶揄して「無敵艦隊」と名づけたという事実を披露したのである。重臣一同、この返答に驚愕した。

   「とすれば、無敵艦隊は無敵ではなく、エゲレスの海軍よりも弱いわけですな」

と長幸が問い、

   「そういうことでございます」

と舌右衛門は答えた。問答は続く。

   「ということは、イスパニアの艦隊が日本に押し寄せる可能性は薄いということではございませんか」
   「ほとんどありえないだろうと、わたしは思っております」
   「その理由は?」
   「いま西洋でいちばんの強国はオランダでございます。とりわけ、インド洋から東シナ海にかけての地域では、オランダ東インド会社が圧倒的な力をもっておりまして、かりにスペインが日本に艦隊を派遣しようものなら、まずはオランダとの海戦を覚悟せねばなりません。オランダ海軍を打ち破るのは並大抵のことではないのですが、その一方で、大西洋ではイスパニアとエゲレスが制海権を競っており、かりにイスパニア艦隊が日本に進出した場合、大西洋の戦力が低下してしまうので、エゲレスの進出を防げなくなります。イスパニアは現状の勢力を維持するのが精一杯というところではないでしょうか」
   「その状況を駿府の大御所さまはすでにご存知なのですな」
   「はい、堺の今井宗薫さまから柳生宗矩さまへ伝令が走っておりますので、大御所さまは3年以上前にこの事情をお知りになったと思います」

 重臣一同、舌右衛門の説明に聞き入っている。ただ一人、長吉だけが苦虫をかみつぶしたような顔をしており、問答に割って入ってきた。

   「伊達政宗どのは、その事情を知っておられるのか」
   「今井さまのお話ですと、時期を見計らって、大御所さまが伊達さまにお告げになるとのことでございました」
   「伊達の使節がローマに向かったことについて、その方はどう考える?」
   「私見ではございますが、大御所さまはイスパニアの艦隊が日本に来ないことを確信したからこそ、仙台藩の遣欧使節をお許しになったとしか思えません」
   「伊達どのはイスパニアの事情を知りならが、船を出したのか?」
   「船が石巻を出る前には、ひょっとすると、ご存知なかったのかもしれせん。ただ、大坂の陣を控えるいまとなっては、おそらく大御所がお話しになっていると思われます」



 舌右衛門の発言は、池田長吉の謀反構想を根本から揺るがすものであり、重臣たちは安堵の気持ちで胸をなで下ろしているが、長吉はまだ自らの野心を放棄したわけではない。

   「そのほうが提出した文書を読み、いままでの内容はだいたい理解しておった」

と長吉が告白したとき、重臣たちはどよめいた。長吉はこれまで嘘をついてきたことになるではないか。イスパニアの無敵艦隊が日本にやってこないであろうという情報を知りながら、長吉は重臣たちに「無敵艦隊による幕府の壊滅」を説いていたからである。長吉は反撃にでた。
  
   「下呂どのの文書を読むと、マカオで賊に襲われ、大事な資料をすべて奪われたとあるな」
   「はい、奪われました。大変な失態を演じ、面目次第もございません」
   「どうしても気になることがあってな」
   「と申されますと?」
   「さきほどのそちの発言は作り話ではないか、という疑念をわしは抱いておる。なぜならば、根拠となる資料をそなたはもっておらん」
   「これはしたり・・・わたしが作り話をして、なにか利益があるのでしょうか」
   「なにをうそぶいておるのだ・・・そなたは徳川幕府の間諜であろうが。伊賀者を雇っているのは忍術に興味があるからではない。そなたが服部半蔵直属の上忍で、学者に化けた上忍が若い下忍ども操って、この藩を攪乱し、お家断絶に導こうとしておるのだ」
   「これはまたしたり・・・わたくしは大御所さまの命をうけ、池田長吉さまの許可をえてマカオに行き、西洋の事情を調べてきた者にございます。そもそも、鳥取藩池田家は将軍家の家臣でございますに、なにゆえ幕府の間諜などと申されるのでございますか。そういう発言こそが、謀反の疑いを幕府に与える口実になるのではございませんか」
   「なにっ・・・」

 不穏な空気が流れたところで、再び長幸が問答に割って入った。

   「たしかに下呂どののおっしゃるとおり、父上も、幕府の間諜などという物言いはお控えになったほうがよろしいかと存じます」

 続けて、田中という家老が舌右衛門に問うた。

   「下呂どのを襲ったという賊は何者か、心あたりはござらぬのか」
   「わたしは城下とマカオで2度襲われました。賊が使う幻術や手裏剣からみて、甲賀の忍びであるのは間違いありません。それ以上のことは分かっておりません」

 甲賀という言葉を聞き、会議場には冷たい空気が張りつめ、沈黙の時が流れていった。


*『薬研堀慕情』 好評連載中!

    「薬研堀慕情(Ⅰ)」鮎の茶屋
    「薬研堀慕情(Ⅱ)」紫陽花の散る庭
    「薬研堀慕情(Ⅲ)」七夕の黒髪
    「薬研堀慕情(Ⅳ)」天の川へ
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」分身の術
    「薬研堀慕情(Ⅵ)」別れの盃
    「薬研堀慕情(Ⅶ)」メイドのみやげ
    「薬研堀慕情(Ⅷ)」澳門漫遊
    「薬研堀慕情(Ⅸ)」曼徳倫の夕べ
    「薬研堀慕情(Ⅹ)」伎楼通い
    「薬研堀慕情(ⅩⅠ)」ビフォー・アイ・ワズ・ボーン
    「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」古本漁り
    「薬研堀慕情(ⅩⅢ)」籠の鳥
    「薬研堀慕情(ⅩⅣ)」無敵艦隊の実態
    「薬研堀慕情(ⅩⅤ)」夜更けのノック
    「薬研堀慕情(ⅩⅥ)」赤影見参!
    「薬研堀慕情(ⅩⅦ)」冥土のミレット
    「薬研堀慕情(ⅩⅧ)」利蔵の死
    「薬研堀慕情(ⅩⅨ)」市中の山荘
    「薬研堀慕情(ⅩⅩ)」複数の経路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅠ)」知恵くらべ
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅡ)」凱旋帰郷
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅢ)」膝枕
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅣ)」若桜の着兵衛
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅤ)」十字架の茶室
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅥ)」地球と天球
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅦ)」郭の天主閣
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅧ)」鮎のいない茶屋
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅨ)」田七人参
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩ)」天球院入城
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅠ)」天下分目
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅡ)」富士屋のかわら版
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅢ)」賞金首
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅣ)」伊賀者の末路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅤ)」幕府の間諜
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅥ)」評定半日



  1. 2008/05/12(月) 00:33:52|
  2. 小説|
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