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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅦ)

再会

 舌右衛門はいったん城下の下宿に戻った。腹が減っていたが、何もつくる気力が湧かないので、湯漬けをすすって小腹をおさえ、しばらく座敷に寝ころんでいた。思考が停止している。
 初めて出た山上の丸の評定は、予想をはるかに超えて苛烈なものだった。なんともやりきれない気持ちが体内に渦巻いている。だれかに癒やしてもらわなければどうにおさまらない。
 舌右衛門は、薬研堀の茶屋に行く決心をした。めずらしく一人で行こうと決めた。茶屋の暖簾をくぐると、左方向手前の席に鮎がいて、すぐに目があった。鮎は無視するどころか、舌右衛門をみて驚いた顔をし、笑みを送った。ただちに女将が寄ってきた。女将も久しぶりの来店に驚いている。「おひとり?」と言って人数を確認すると、いちばん奥の一人用の席に舌右衛門を案内した。
 女将はほんのしばらく舌右衛門の相手をしたが、まもなく鮎が席についた。じつに3年半ぶりの再会であった。舌右衛門は鮎が目の前にいることが信じられない。鮎も同じような眼で舌右衛門をみている。二人は、なんだか照れくさかった。
 目の前にボトルが置かれた。それは3年半前に入れたスコッチで、底に1センチほど酒が残っている。

   「これ、まだ処分されてなかったんだ」
   「え~っ、これ、あのときのなんですね。そんなに来てなかったんですか」
   「あぁ。全然来なかった。そなたがおらぬと、この店に来ても退屈でな。それに・・・」
   「それに?」
   「倭文の奥が倒れてしもうてな」
   「えっ、奥様が?」
   「あぁ、倒れたときは死ぬかと思うた。それほどの重症だったのだが、最近、ようやく回復してきた。ただ、脳をやられて右半身は麻痺したままじゃ・・・」
   「そうでございましたか。それでは茶屋遊びなどしている場合ではございませんわね」
  
 舌右衛門は幻視かと思った。「奥が倒れた」と話したとき、鮎の瞳が少し輝いたのだ。

   「それにしても、いつ茶屋に戻ったのだ?」
   「三月前にございます」
   「伸太が無視されたと言っておったぞ」
   「そんなことありませんよ、あの日はお客さまが多かっただけです」

 少し前から小雨が降り始めた。

   「おもて、人、歩いてました?」
   「いや、少なかったな・・・雨が降りだしたからな」
   「まぁいいわ、今宵は下呂さまの貸し切り、決ま~り!」
   「おいおい、いいのか、そんなこと勝手に決めて。女将に叱られるぞ」

 鮎の笑顔は疲れ切った舌右衛門の精神をほぐし始めた。「お疲れのようですね」と鮎が訊く。
  
   「なんで、この店に来たかっていうとね、今日の会議は滅茶苦茶でな、5時間以上も続いたのよ。もうへとへとでね、ともかくだれかに癒やしてもらわないと眠れない、と思ったのだわ。ひとりで茶屋に来るのは怖いのだが、勇気を出してきてしまいましたぞ!」
   「なんで怖いの、ここが?」
   「だって、だれも相手してくれんときがあるのよ。ほったらかしにされると淋しいものだわ・・・」
   「今宵は鮎がべったりお相手しますからね。で、どんな会議だったんですか?」
   「ひとり狂っている人物がおってな、まわりがどれだけ反対しても、言うことを聞かない。採決すれば決まってしまうのだが、採決すらできない。無茶苦茶な会議だわ・・・」
   「まぁまぁ、もうよろしいではございませんか。鮎と楽しいお話をしましょうね」


 こんどは鮎の話を聞く番になった。

   「で、なんで店、辞めたの?」

 鮎は急に小声になり、まわりに聞こえないように事情を説明した。

   「じつはですね、店のおなご衆のなかの数人がわたしを苛めはじめたんですよ。お客を取ったとか、皿洗いをしないだとか、覚えのないことで因縁つけるんです。それでもう嫌になってきて、妹にあの娘たちを解雇してって頼んだんだけど、妹は駄目だって言うんで、わたしが辞めちゃったんですよ」
   「えっ、そうなのか。若いおなご衆は、姉妹が壮絶な口喧嘩をして、姉のほうが辞めたって言ってたがな・・・」
   「えっ、そうなんですか。きっと、その娘たちですよ、わたしを苛めてたのは!?」
   「まぁ、そなたぐらいの美形になると、おなご衆の嫉妬をかうであろうな・・・で、どこでなにをしておったの?」
   「江戸に戻って、縫子してました」
   「色恋のひとつやふたつはあったのだろう?」
   「駄目でしたね、全然もてません」
   「そなたがもてないと言っても、だれも信じないな。わたしはそなたが好きで、ここに通ってきておるではないか?」
   「殿は奥様にべた惚れですからね、わたしなんか、つまみ食いでしょ」
   「つまみ食いさせてもらったことなんかありませんよ・・・」
   「好きだって女に言うなら、いちどぐらい口説いてみたらどうなんですか!?」
   「わしが口説いたって、相手にしないでしょうが。鮎は高嶺の花じゃ」
   「全然、高嶺の花なんかじゃありませんよ。だって、お婿さんみつからないもの」
  
 ここまではおふざけで話していた舌右衛門が少し襟を正して、真面目な顔をした。

   「鮎どの、わしはこうしてそなたと再会できたことがとても嬉しい。でもな、再会しないほうが良かったとも思うぞ」
   「どうしてでございますか?」
   「もともとそなたはこういう夜の世界には向いておらんおなごだからな。昼の世界でいい男をみつけて幸せになってもらいたかったな」
   「そんなこと言われると、涙でちゃうじゃないですか」

 鮎はほんとうにベソをかいてしまった。

*『薬研堀慕情』 好評連載中!

    「薬研堀慕情(Ⅰ)」鮎の茶屋
    「薬研堀慕情(Ⅱ)」紫陽花の散る庭
    「薬研堀慕情(Ⅲ)」七夕の黒髪
    「薬研堀慕情(Ⅳ)」天の川へ
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」分身の術
    「薬研堀慕情(Ⅵ)」別れの盃
    「薬研堀慕情(Ⅶ)」メイドのみやげ
    「薬研堀慕情(Ⅷ)」澳門漫遊
    「薬研堀慕情(Ⅸ)」曼徳倫の夕べ
    「薬研堀慕情(Ⅹ)」伎楼通い
    「薬研堀慕情(ⅩⅠ)」ビフォー・アイ・ワズ・ボーン
    「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」古本漁り
    「薬研堀慕情(ⅩⅢ)」籠の鳥
    「薬研堀慕情(ⅩⅣ)」無敵艦隊の実態
    「薬研堀慕情(ⅩⅤ)」夜更けのノック
    「薬研堀慕情(ⅩⅥ)」赤影見参!
    「薬研堀慕情(ⅩⅦ)」冥土のミレット
    「薬研堀慕情(ⅩⅧ)」利蔵の死
    「薬研堀慕情(ⅩⅨ)」市中の山荘
    「薬研堀慕情(ⅩⅩ)」複数の経路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅠ)」知恵くらべ
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅡ)」凱旋帰郷
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅢ)」膝枕
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅣ)」若桜の着兵衛
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅤ)」十字架の茶室
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅥ)」地球と天球
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅦ)」郭の天主閣
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅧ)」鮎のいない茶屋
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅨ)」田七人参
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩ)」天球院入城
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅠ)」天下分目
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅡ)」富士屋のかわら版
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅢ)」賞金首
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅣ)」伊賀者の末路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅤ)」幕府の間諜
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅥ)」評定半日
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅦ)」再会
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅧ)」告白




  1. 2008/05/14(水) 00:00:09|
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