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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩ)

依頼

 舌右衛門はさらに問う。

   「この3年半、茶屋にも出ず、何をしておったのだ?」
   「マカオから帰ってきて、なんだか茶屋にでるのが億劫になってしまいましてね、ただ梟(ふくろう)の仕事だけしておりましたよ」
   「梟?」
   「お城の警備と忍びの本業です。ほとんど夜しか動かないから、梟って呼ぶんです」
   「わしのことも調べていたのか?」
   「下呂さまだけじゃありませんけどね、倭文の御屋敷にも何度かお邪魔してますよ」
   「うちの伊賀者3人はそなたに気づいておらんのか」
   「あの3人はね、いつもロフトとかいう天井裏できゃあきゃあ騒いでいるだけで、わたしがロフトと座敷の間の小屋梁の組んである暗闇にいても、まったく気づきませんね」
   「そうなのか・・・」
   「それにしても、奥様の闘病と殿の看病には頭が下がりました。いいご夫婦ですね。わたしゃ、胸を打たれちゃってね・・・この一家を不幸にしちゃいけないって決めたんです」
   「・・・・」
   「あんなに奥様を大事にされる殿方はそうそうおりませんもの。わたしも女ですから、普通なら嫉妬心がわいてくるところなんだけど、奥様の闘病ぶりをみてるとそんな気持ちはぜんぜん起こらなかった。なんで、ああいう女に生まれなかったんだろうって、つくづく思いました。仏のような奥様じゃございませんか」
   「・・・・」

 舌右衛門は、最後にどうしても訊いておきたいことがあった。

   「かわら版の件は、どこまで押さえておる?」
   「あれは、一本取られましたね。ノーマークだったんです。下呂さまも看病に集中されているし、まさか大層なことやらかさないだろうと思いこんでたんですが、とんでもないかわら版がでちゃった。やられたって、思いましたよ。証拠らしい証拠はまったく残ってませんしね・・・ところが、その晩に伸太さんと富士屋の旦那が浮かれた顔して茶屋にあらわれるじゃないですか。わたしゃ、近づかないことに決めたんです。下手に話を聞いてしまうと、長吉さまに知らせなきゃいけなくなりますからね。だから、伸太さんを無視したんです。ところが、あのお二人、飲んでわいわい騒ぎ始めて、それとなく事件のことを漏らしたらしいんですよ。茶屋にはわたしと妹以外にもくのいちが何人もいますからね、そのうちの一人が長吉さまにお知らせしたみたいです」
   「・・・捕まるかの、あの二人?」
   「分かりませんけど、最近の長吉さまは普通じゃないですから、いきなり捕まえて拷問ってことになるかもしれません。甲賀の首領ですから、伊賀者は大嫌いですしね・・・でも、ご心配なさらなくても大丈夫ですよ。もし、あの二人が捕まったら、あたしが二人を始末してさしあげます」
   「なんと」
   「だって、あの二人、拷問をうけたら、下呂さまのこともゲロしちゃうでしょ。そうなると、下呂さまだけでなく、奥様やお子さまたちにまで災いが及びますもの」
   「・・・・」


 舌右衛門は、鮎の正体を知った。清楚な武家の娘というイメージとは真反対の実像に驚いたが、それはある程度予想された姿であり、舌右衛門はどこか爽やかさを覚えていた。

   「で、わたしを呼び出した目的は何なんですか。正体をばらしたくて呼んだんなら、これで謎解きは終わりですから、帰りますよ」

と鮎が再び切り出した。舌右衛門は、しばらく考えこんでから、おもむろに答えた。

   「いや、違うのじゃ。そなたが赤影であることは分かっていた。だから、茶屋に行くのも控えようと思っていたし、かりに茶屋でそなたにあうことがあっても、知らぬ顔の半兵衛で芝居し続けようと決めていた。しかし、昨日の評定にでて、事態が抜き差しならぬところまできていることを身をもって知った。でな、頼みたいことがあるのだ」
   「頼みたいこと?」
   「あぁ」
   「なんですか、頼みたいことって?」

 舌右衛門はひと呼吸おいた。そして、鮎の目をみつめながら、

   「池田長吉を始末してもらいたい」

と口にした。鮎は驚いて、開いた口がふさがらなくなった。舌右衛門の動きを監視する忍びに対して、忍びの首領にあたる人物の暗殺を舌右衛門が依頼したからである。

   「馬鹿なことおっしゃいますな。長吉さまは鳥取藩の藩主にして、甲賀者の首領ですよ。手下に首領を討てとおっしゃるのですか?」
   「よく考えてみてほしい。いま長吉はキリシタン大名として大坂方に付こうとしている。この企ては必ず失敗する。そうなれば、家臣はみな禄を失ってしまう。さいわい、嫡男の長幸は人望のある若者で、長幸が後を嗣げば、藩に平安が戻ってくるであろう。大坂の陣に江戸方として参陣し、功をなせば、加増転封も望める」
   「首領を失った甲賀者はどうやって生きていくのですか?」
   「あの茶屋が繁盛しているではないか。戦が始まれば、甲賀衆も参陣せねばなるまい。大坂方として戦えば、忍びも皆殺しだ。もちろん茶屋も閉めねばならぬ。しかし、長吉さえ亡くなれば、いまのまま茶屋を営むことができるであろうが。忍びの世界から足抜けして、ひとりの女として生きていけるではないか、そちも妹も」
   「掟を破るわけにはいきません。抜忍は必ず処罰されます」
   「その掟を支配しているのは長吉であろうが。長吉さえ居なくなれば、処罰もへちまもないぞ」
   「・・・・」
  
 舌右衛門はもう一歩踏み込んでみた。

   「長吉が好きなのか?」

と問うと、鮎は顔をゆがめて、

   「好いてなんかいませんよ」

と即座に反応した。舌右衛門はさらに一歩踏み込んだ。

   「長吉は床上手なのか? おなごは抱かれることで嫌いな男に惚れていくこともあるからな」

と訊ねると、鮎は舌右衛門を馬鹿にするように見上げ、

   「・・・くのいちが性技にはまってどうするんですか。ただ演技しているだけですよ」

と吐き捨て、そのまま振り向いて、境内の参道を駆け抜けていった。


*『薬研堀慕情』 好評連載中!

    「薬研堀慕情(Ⅰ)」鮎の茶屋
    「薬研堀慕情(Ⅱ)」紫陽花の散る庭
    「薬研堀慕情(Ⅲ)」七夕の黒髪
    「薬研堀慕情(Ⅳ)」天の川へ
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」分身の術
    「薬研堀慕情(Ⅵ)」別れの盃
    「薬研堀慕情(Ⅶ)」メイドのみやげ
    「薬研堀慕情(Ⅷ)」澳門漫遊
    「薬研堀慕情(Ⅸ)」曼徳倫の夕べ
    「薬研堀慕情(Ⅹ)」伎楼通い
    「薬研堀慕情(ⅩⅠ)」ビフォー・アイ・ワズ・ボーン
    「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」古本漁り
    「薬研堀慕情(ⅩⅢ)」籠の鳥
    「薬研堀慕情(ⅩⅣ)」無敵艦隊の実態
    「薬研堀慕情(ⅩⅤ)」夜更けのノック
    「薬研堀慕情(ⅩⅥ)」赤影見参!
    「薬研堀慕情(ⅩⅦ)」冥土のミレット
    「薬研堀慕情(ⅩⅧ)」利蔵の死
    「薬研堀慕情(ⅩⅨ)」市中の山荘
    「薬研堀慕情(ⅩⅩ)」複数の経路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅠ)」知恵くらべ
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅡ)」凱旋帰郷
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅢ)」膝枕
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅣ)」若桜の着兵衛
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅤ)」十字架の茶室
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅥ)」地球と天球
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅦ)」郭の天主閣
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅧ)」鮎のいない茶屋
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅨ)」田七人参
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩ)」天球院入城
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅠ)」天下分目
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅡ)」富士屋のかわら版
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅢ)」賞金首
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅣ)」伊賀者の末路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅤ)」幕府の間諜
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅥ)」評定半日
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅦ)」再会
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅧ)」告白
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅨ)」正体
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩ)」依頼
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅠ)」秘薬



  1. 2008/05/20(火) 00:37:44|
  2. 小説|
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