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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅢ)

辞職

 長吉の急死は世間を驚かせたが、その一年と八ヶ月前の慶長十八年(1613)一月には、長吉の兄で姫路の藩主、池田輝政も急逝していた。一方、若桜の山崎家盛は長吉逝去の一ヶ月後、やはり若桜鬼ヶ城で急死する。大阪で豊臣方の動きが活発化し、家康も駿府を発ち大坂に向かうちょうどそのころ、家盛は死んだ。その2ヶ月後には早くも冬の陣の講和が成立する。
 大阪冬の陣を控える時期に、豊臣家恩顧の大名であった池田輝政・長吉兄弟、山崎家盛がこぞって急死したのだ。一方、この3人に縁の深い天球院は寛永十三年(1636)まで生き延びる。
 姫路では池田利隆、鳥取では池田長幸、若桜では山崎家治が家督を継ぎ、いずれも徳川方として、大阪の陣で戦功をあげた。大坂夏の陣を経て豊臣方の勢力は完全に掃去され、年号の変わった元和の元年(1615)、一国一城令が制定される。一国一城令により、因幡・伯耆は一国とみなされ、若桜、鹿野、倉吉、米子など諸城の藩主はいっせいに転封の運びとなった。
 が、元和二年、徳川家康が大往生を遂げたからであろうか、実際の転封は翌三年(1617)まで持ち越された。若桜の山崎家治は備中成羽城3万5千石、そして鳥取城の池田長幸も備中松山城6万5千石への加増転封が決まった。この両藩は、いまの岡山県高梁市にあって隣接している。鳥取城には池田輝政の嫡孫にあたる池田光政が因幡・伯耆32万5千石の領主として、まもなく着任しようとしていた。
 舌右衛門は富士屋の旦那、伸太とともに薬研堀の茶屋にいた。もちろん鮎が席についている。富士屋が話を切り出した。

   「下呂さま、とうとう備中松山への移封が決まりましたな。引っ越しのご準備など始められましたか」
   「いや、松山へは行きません」
   「えっ、どういうことでございますか」
   「じつは今日、藩校に辞表を出してきたのです」
   「鳥取に残られるのですか」
   「はい。奥もそれを望んでおりましてな。京の近辺ならいざしらず、山間部の松山で晩年を過ごすよりも、住み慣れた故郷の鳥取で暮らすほうがよいと考えました。海に近くて、魚も美味いですからな」

 不安気に話を聞いていた鮎の目が一転光った。

   「それでは、これからも、この茶屋に通っていただけますね。鮎は嬉しうございます」

 舌右衛門はしばらく間をおいて答えた。

   「禄を失ったのだから、茶屋通いもままならぬであろうな・・・」

 鮎はその返答を打ち消すように、言葉を足した。

   「下呂さまなら半額でかまいませんよ。ほんとはタダでもいいんだけど、そこまですると、まわりがうるさいから、とりあえず半額で。これからは、伸太さんにもちゃんと割勘でお支払いいただけばよいのです。割勘ですよ、伸太さん! かわら版で儲けているのですから・・・」


 伸太は黙っている。富士屋は心配そうに舌右衛門に問うた。

   「で、どうやって食べていかれるおつもりでございますか。わたくしどもと一緒にかわら版や戯作本でもお作りになるなら歓迎いたしますが」

 舌右衛門は素っ気なく答えた。

   「いや、わたしは倭文で村医者になろうと思うております。さいわいマカオで買い込んだ漢薬、西薬がまだたんと残っておりますし、医学書、薬学書も山積み状態です。そういう書を学びながら、奥の世話をし、村医者として人生を再開させてみようかと思っているのです」
 
 伸太が口をはさむ。

   「医師におなりになるというなら、わたしやグスク、ガキ、ヤスもお役に立てると思います」
   「そうじゃな、忍びは薬草の知識が豊かだからのう。いろいろ問うことがあるかもしれんが、そのときには教えてくれ。もし医師としてやっていける自信がついたなら、町方でも開業するかもしれん」
 
 こうして、舌右衛門は倭文の屋敷で診療所を開業した。はじめ患者は少なかったが、日本にはない漢薬、西薬の評判が思いの外よく、倭文だけでなく近郷の村々や町方からも患者が押し寄せるようになっていった。
 舌右衛門の没後も、一人息子の隼之輔が医師を嗣いで診療所は栄え、寛保年間になって、ついに下呂家は鳥取藩池田家の藩医として召し抱えられた。このとき姓を加藤と改めた。
 舌右衛門が住んだ屋敷はいまも倭文にあり、寛保ころに建て替えられた母屋が国の文化財に登録されている。 (完)


         - この物語はフィクションです -

 最後に余談を少しばかり。
 京都の妙心寺に「天球院」という塔頭がある。寛永八年(1631)、鳥取から御国替えで岡山藩主となった池田光政が、伯母の天久院のために創建した塔頭であり、のちに池田家の菩提寺となる。造営にあたって、地中から「球」を掘り出したのを奇瑞とみなし、塔頭名を「天久院」から「天球院」に改めたと言われる。
 このほか寛保二年(1742)に編纂された三坂春編『老媼茶話』の序でも「天久院」の名が用いられている。これら近世の用例からみれば、「天球院」という人名も没後の名であって、生存中は「天久院」と呼ばれていたのかもしれない。天久院は山崎安盛と離縁して後、どれくらいの期間か分からないが、姫路城に戻っていた。池田輝政の家督を継いだ利隆が急死(毒殺説あり)した際、輝政の嫡孫である光政を姫路の第3代城主として擁立すべく動いたが失敗し、家督は輝政の末子、忠雄が嗣いだ。これに反発した天久院が光政とともに鳥取城に移った可能性があり、とすれば、鳥取城に「天久丸」が成立したのは光政期とみなさざるをえない。そして、その郭の名が「天球丸」と変わったのは塔頭創建の寛永八年(1631)以後ということになる。
 現在、鳥取城跡では「天球丸」石垣の修復にともなう発掘調査が進んでいる。この発掘調査で、下層の石垣が出土し、それが階段状に積み上げられた戦国時代特有の「倭城」の構造に復元されうることから宮部期以前の築造であるという推定がなされている。これは注目すべき成果であるが、肝心の上層については築造年代の決め手を欠いている。鳥取では、薙刀をもった天球院が若桜鬼ヶ城を出て鳥取城に入るという伝承も残っているわけだから、池田長吉の時期の築造を否定できるわけでもなかろう。
 ともかく機能と成立年代の分からない「天球丸」という名の不思議な郭が鳥取城のなかにあった。今後の調査研究による謎の解明に期待したい。



*『薬研堀慕情』のご愛読ありがとうございました

    「薬研堀慕情(Ⅰ)」鮎の茶屋
    「薬研堀慕情(Ⅱ)」紫陽花の散る庭
    「薬研堀慕情(Ⅲ)」七夕の黒髪
    「薬研堀慕情(Ⅳ)」天の川へ
    「薬研堀慕情(Ⅴ)」分身の術
    「薬研堀慕情(Ⅵ)」別れの盃
    「薬研堀慕情(Ⅶ)」メイドのみやげ
    「薬研堀慕情(Ⅷ)」澳門漫遊
    「薬研堀慕情(Ⅸ)」曼徳倫の夕べ
    「薬研堀慕情(Ⅹ)」伎楼通い
    「薬研堀慕情(ⅩⅠ)」ビフォー・アイ・ワズ・ボーン
    「薬研堀慕情(ⅩⅡ)」古本漁り
    「薬研堀慕情(ⅩⅢ)」籠の鳥
    「薬研堀慕情(ⅩⅣ)」無敵艦隊の実態
    「薬研堀慕情(ⅩⅤ)」夜更けのノック
    「薬研堀慕情(ⅩⅥ)」赤影見参!
    「薬研堀慕情(ⅩⅦ)」冥土のミレット
    「薬研堀慕情(ⅩⅧ)」利蔵の死
    「薬研堀慕情(ⅩⅨ)」市中の山荘
    「薬研堀慕情(ⅩⅩ)」複数の経路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅠ)」知恵くらべ
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅡ)」凱旋帰郷
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅢ)」膝枕
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅣ)」若桜の着兵衛
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅤ)」十字架の茶室
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅥ)」地球と天球
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅦ)」郭の天主閣
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅧ)」鮎のいない茶屋
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅨ)」田七人参
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩ)」天球院入城
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅠ)」天下分目
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅡ)」富士屋のかわら版
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅢ)」賞金首
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅣ)」伊賀者の末路
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅤ)」幕府の間諜
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅥ)」評定半日
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅦ)」再会
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅧ)」告白
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅨ)」正体
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩ)」依頼
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅠ)」秘薬
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅡ)」快楽
    「薬研堀慕情(ⅩⅩⅩⅩⅢ)」辞職
    「薬研堀慕情」あとがき(Ⅰ)


  1. 2008/05/25(日) 00:31:26|
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