
金曜日に突然、NHK奈良放送局の記者さんから電話があり、土曜日午後2時から奈良放送局で短い収録をおこなうことになった。
この話は前からあったのだが、連絡がないので立ち消えになったと思っていたところ、正式な依頼がきた。上下の写真の背面に映っているパネルは御所野遺跡(岩手県一戸町)の復元住居である。この収録のために壁に貼ったものだろう。テーマは「焼失建物」なんだから。
このテーマなら、わたしが主人公になって然るべきなんだな。わたし以上に焼失住居跡について理解している人物がこの世にいるとは、勝手ながら、思っていない。しかし、わたしは今回、エキストラに近いチョイ役での出演にすぎない。
話はややこしい。この3月末、ある有名な考古学者が奈良の研究所を退官した。かれの最後の仕事は「焼失建物」の全国資料集を作ることで、47都道府県のうち8道県の資料集がまもなく刊行される。記者は東京時代に考古学者に大変お世話になっていて、その恩返しにこの資料集について報道したいと考古学者に提案した。その後、まもなく考古学者からわたしに協力の依頼があり、報告書のゲラが大学にすべて送られてきた。わたしはその中身をまったく読んでいない。読むような時間的余裕もないし、読まなくても内容はだいたい分かっている。その後、記者からニュース番組への出演以来があった。それは連休前のことだったように記憶する。
収録の前に報告書のアブストラクトを読ませていただいた。中身は予想されたとおりだった。基本的には正しいことが書いてあるが、やはり建築的な理解は甘い。その点は、わたしたちが今編集している「知の財産」報告書のほうがはるかに優っている。ただ、全国の統計というのもおそろしい作業で、そういう作業をしたいか、と問われれば、決してやりたくないから、考古学者に任すことにしよう。ただ、考古学者はもう少し建築の基礎を学ばなければならない。屋根が寄棟か、入母屋か、切妻か、などいう発想でとまっていても、竪穴住居の構造は解けない、ということに気づいてほしい。


焼失住居跡は不完全燃焼によって大量の炭化材と炭化物層・焼土層を残すので、大半は土屋根の建物に復元できる。ただし、「草葺き」と「土葺き」を二項対立のように理解するのはよくない。先史時代の屋根というのは、毛皮や樹皮に覆われる段階がまずあり、ある段階から草で葺きだしたのだろうが、その草で葺き始めた時期がさっぱりわからない。
そもそも「土葺き」という用語がおかしい。わたしは「土屋根」「土被覆」「土覆い」というように表現する。屋根の葺き材はあくまで、毛皮・樹皮・茅であり、その上に土を被せるかどうかは地域や集団によって任意であったと思っている。さらに、土を屋頂まで被せる場合もあれば、裾側にしか被せない場合もある。それは運びこめる土の量によって変わるのである。ひとつの集落でも草や樹皮が露出している屋根もあれば、塚のような土饅頭の屋根もあったであろう。
さて、収録では「土屋根にすることの効果」を問われ、以下のように答えた。
1)外気の寒暖の変化に対して、室内は温度を一定に保ちやすい。すなわち、冬に暖かく、夏に涼しいという効果がある。
2)屋根の構造が強くなるので、野獣や戦敵などの外敵から住居を守ることができる。
3)屋根土が湿気を多量に含んでおり、その湿気が屋根下地や垂木に浸透するため建物が腐りやすいという欠点をもつ反面、失火による火災はほとんどおきない。一方、草屋根の場合、建物は乾燥して腐りにくいが、失火による火災が多発する。なお、草葺きの場合は建物が全焼するので、炭化材はほとんど残らない。
この収録の放送日はまだ決まっていないが、近々、奈良放送局のニュースとして流すそうだ。そして、その後、他の地域にも配信していく予定だとのこと。
きっとわたしが目にすることはないだろう。
- 2008/05/31(土) 23:26:32|
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