
7月3日 晴れのち曇りのち雨
久松山ロープウェイ基地跡を訪ねて 今日は久松山ロープウェイの基地跡(現鳥取市埋蔵文化財センター)へ行きました。1970年の大阪万博の際、帰りの観光客を沢山呼び込む観光名所をめざしていたチラシがネット上でも公開されています。当時、まだ国史跡に指定されていなかった山の片側に建てられたそうです。策動の開業は、万博前年の昭和44年(1969)で、廃止は7年後の昭和51年(1976)だそうですが、すでにそれ以前ら休業状態になっていたそうです。休業になった理由は経営上の不審と文化庁の警告の両方が考えられるそうです。その後、昭和60年に「鳥取城跡保存管理計画」が答申され、昭和62年8月10日に史跡指定範囲が拡大され、久松山のほぼ全域が国の史跡となったということです。

頂上付近のロープウェイ基地と違い、始発場所のほうなのでとても大きく、切符売場や食堂跡、看板などがいくつもありました。また、奥の機械室や宿直室なども見学しました。機械室は老朽化が進み入口だけの見学でしたが、とても広くで下が深くコウモリが飛んでいました。宿直室に行くまでの部屋の壁に沢山の落書きがあり、とても暗くて懐中電灯で照らしていただきましたが、久松山の防空壕の時より怖く、不気味に感じました。
ただ、乗り場からは山がひろく見渡せ、おそらく中継の柱であったと思われるY字状の構造物も確認できました(↓)。

ロープウェイの見学が終わり、ロープウェイ下のレストラン跡(現会議室)で今週の成果の発表をしました。
まずは自然班で今日は植物班の二人が休んでいたので動物班だけ発表でした。今回の動物班の発表で、私が見た県立博物館のホルマリン漬けのオオサンショウウオは仁風閣が博物館だった頃のオオサンショウウオではないと聞き、「魔法の山」に出てくるモデルのオオサンショウウオは私が見た県立博物館のホルマリン漬けのオオサンショウウオではないんじゃないかと思いました。
次に漫画班による発表で漫画のコマと実際の風景を載せたデータシートを元に発表していましたが、地図上にもっと分かりやすく番号を振り分かりやすくすれば良いと私も思いました。漫画班は最後に岡野さんから教わった事をしていたので次回の発表が楽しみでした。
吸い付き婆の正体? 最後に我々、史跡班の発表で、まず岡君がロープウェイについて発表し、K君が大まかにまとめたプレゼンの発表と新たに発見、付け加えた事を発表しました。最後に漫画に出てくる重要な役割の「吸い付き婆」の正体について、『鳥府志』の記載から自分の仮説を発表しました。じつは私は以前、K君からその話を聞いていました。K君は「何も発表する事がなくなった時の切り札として残しとく?(笑』)と話していて、それをとうとう今回披露したのです。この仮説には、先生も感心されていました。江戸時代の城内にあった井戸に婦人が落ちて死んでしまい、それが化けてでるという説話があるのですが、先生はそれを五輪塔のイメージ(地下に降りていく抜け道の仮説)と結びつけると発表会全体の良いオチになる、と言われました。
そろそろプロジェクト研究の発表会が近づいているので次回は今日先生に指摘された改善ポイントなどや新しい情報を入れた発表があると思います。今日の発表よりまた一段と優れたものが出来ると思い、とても期待しています。私も新たな情報を見つけ良いプレゼン発表が出来る様にしたいと思います。今日は以前も仁風閣などでお世話になった市教育委員会の方がたがお忙しい中、わざわざ来て頂きました。本当に有難うございました。(環境政策学科2年「歴史・史跡」班Y.D)


↑切符売り場の中から外をみる ↓運賃表など

↓壁は落書だらけです。全部公開したら、アクセスが増えるでしょう・・・
- 2008/07/04(金) 12:38:04|
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