
何日か前に
ぶるぶる振動腰巻きベルトの記事を締めくくるにあたり、「今週末は久しぶりに鳥取におりますので、また山に登るかな」を書いてしまったのが運の尽き。出雲のタクオからメールが入った。
丁度、両親も鳥取に帰ってきているので、もし、先生との都合が
合えば帰鳥しようかと考えています。山登りもご一緒したいです
し(僕も最近腹が・・・)
というわけで、日曜日に3度目の久松山登山が決定した。じつは岡村も友人の結婚式のため帰鳥していたのだが、目的は結婚式なのだから、山登りができるわけはない。
いや、生まれてくるんじゃなかった、ほんとに。
梅雨も終わったと錯覚させる猛暑の一日。タクオは午後2時ころ、寺町にあらわれた。ゆえあって、駅裏の「無印」に行くことになり、最近はまっている「水出しアールグレイ」など数品を購入。じつはわたしだけまだなにも食していなかったので、タクオを無印においたまま「砂丘そば」を食べに行った(稲荷寿司も食べた)。しばらくすると腹がぐるぐる鳴る。これはわたしの持病である。30代前半に胆石の手術をし、胆嚢を除去しているので、胃腸の油分解吸収能力が弱く、便通がよい、というか、代謝がよい、というか・・・さっそくシャミネのトイレに足を運んだ。これが不吉の前兆であった。

3時ころから中坂を登り始めた。最初から息が切れる。ふらふらしていて、ときどき後ろを歩くタクオのほうに体が倒れそうになることが何度かあった。5合目の中坂神社に着いたら、もう完全にグロッキーしている。これまで、こんなことはなかった。
学生たちと一緒に登ったとき、かれらが「登山は久しぶり」と大騒ぎするので、「こんなものは登山のうちには入らない。ヒッチハイクのレベルだろう」と諭したものである。そのわたしが動けないのである。8合目を過ぎて、体に異変を感じた。タクオに紙を借り、竹藪に踏みいってゲーリー・ピーコックの2回目(1回目はシャミネ)。山登りとゲーリー・ピーコックの関係は浅くない。3年前の
三角山登山がそうだった。あれ以来の症状である。わたしは8.5合目の「山伏井戸」手前の地べたに坐り込んで動けなくなった。この日の症状は三角山のときよりもひどく、なんと嘔吐感まである。それをタクオに告げると、「顔が蒼いですよ」とかれは言った。
そこで嘔吐感が消えるまで坐りつづけ、再び山上をめざしたが、9.5合目でまたダウン。しばらく坐り込んだ。その後、なんとか山上の丸の天守跡に辿り着いた。その記念写真がいちばん上に示したものである。無印で買い込んだ2リットルの茉莉花茶(ジャスミン・ティー)はすでに空になっている。
下りは東坂を選んだ。こちらは勾配は緩くて楽なんだ。もし腹部に異変が生じたら、こんどはタオルしかない、と覚悟していたが、長田神社におりるまでに体調はどんどん回復していった。
長田神社の建物ははじめてみた。本殿は仏教寺院の宮殿(くうでん)や近世城郭に多い「八棟造」。入母屋造の屋根正面平側に千鳥破風を付け、その前の向拝軒を唐破風にする意匠である。石見八幡宮の本殿がこの形式だったことをよく覚えている。因幡一ノ宮「
樗谿神社」の本殿の屋根はこれより素朴で、入母屋造に千鳥破風も軒唐破風もつけず、正面向拝を流造のようにみせていたはずだ。長田神社本殿は絵様からみる限り、幕末以降の作であり、その時代性が屋根の派手さの背景にあるのかもしれない。


旅の最後は紅茶専門店の「
ダウラ」。紅茶はスリランカの
ヌワラエリアを注文し、タクオの薦めもあってスコーンとあわせてみることにした。スコーンにつけるジャムはダウラ手製の品々で、今日はイチジクとスモモの2種類がついていた。前回訪問の際には、一押しのイチジク・ジャムを買った。奈良の自宅でもっぱらヨーグルトのトッピングに使っているが、スコーンには酸っぱいスモモのほうがあう、という意見でタクオと一致した。
ヌワラエリアはストレートが抜群に美味しい。甘酸っぱいスモモジャムをつけたスコーンとの相性は抜群だった。しばらくして、わたしは腹部に異変を感じた。ダウラの水洗便所で本日3度目のゲーリー・ピーコックが実践されたのである。
そういえば、ダウラではずっとジャズが聞こえていた。
トーツ・シールマンスの「
酒とバラの日々」やコルトレーンのバラードが流れてくるのだが、キース・ジャレット3の演奏はオムニバスのCDに含まれていなかった。
本日の主役、ゲーリー・ピーコックのベースは遂に聞けなかったのだ。

*本日の記事は、以下の続編としてお読みください。
2005年
11月23日「三角山の揚羽蝶 -紅葉の修験道トレッキング」
2007年
5月27日「再びゲーリー・ピーコックについて」
- 2008/07/06(日) 23:56:34|
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