近江八幡の水郷 まずは鶴翼山の山頂をめざした。豊臣秀次が築いた八幡城跡である。べつにロープウェイに乗りたかったわけではないが、「魔法の山」プロジェクトで
ロープウェイ基地の廃墟を探索した懐かしさが湧いてこなかったわけでもない。ともかく、近江八幡の市街地と水郷と西の湖と安土城跡の全体がみわたせるポイントに立ちたかったのである。
わたしの思惑は大きく外れた。週末からの大雨の名残が霧雨となって視界を沮んだ。それでも西の湖まではなんとか見通せた。しかし、その向こうにある安土城が煙っている。この春には、安土城の
見寺址からみた西の湖の景観に感動したが、両者の関係を俯瞰することは叶わなかった。
「近江八幡の水郷」は2006年1月に「重要文化的景観」の第1号に選定された地区である。当初の範囲は、西の湖・長命寺川・八幡掘と周辺のヨシ地だったが、同年7月に円山・白王の集落、さらに2007年2月には円山・白王の里山と周辺の水田が追加で選定された。まさに「文化的景観」の理想的なあり方を示すエリアだと思う。
史跡としての鶴翼山や安土城があり、重伝建地区の近江八幡商人街がある。これまではそれだけだったのだが、この史跡と重伝建地区を包み込むように水郷・湖・ヨシ原・水田・集落が広範囲に保全の対象となっている。こうしてみると、「文化的景観」の制度は、従来の「文化財保存」を「地域保全」あるいは「地域環境の保全」へと脱皮させているようにもみえる。これだけ広域的な景観の保全をはかるためには、地域住民の同意が必要なことはいうまでもないが、近江八幡はそれを実現させ、日本で初めての「重要文化的景観保全地区」になったのである。

ロープウェイで山を下り、麓の日牟礼八幡宮を参拝して、八幡掘の岸辺を歩いた。もちろん気分はいい。たまたま入った「喜平」というレストランの郷土料理がとても、とても美味しかった。13時から円山(まるやま)の水郷を手こぎ船で遊覧する予約をいれておいた。
年老いた船頭さんがニコニコしている。
「中国のお嬢さんがな、ふたり船に乗るいうてな」
手こぎ船が動き始めた。二人の女性が話している言葉を聞いて、
北京語ではないことがすぐに分かった。広東語だろう、と思ったのだが、はっきりとは分からない。しばらく待って、日本語で、
「どこから来たんですか?」
と問いかけてみたが、舳先を向いた彼女たちは何の反応もしない。もういちど日本語で訊ねた。
「日本語は話せるんですか?」
やはり二人の女性はまったく反応しない。仕方がないので、北京語で話しかけた。とたんに二人は、こちらを振りむいた。二人は香港の女性だった。中国に返還される前の香港人は北京語を話せなかった。こちらが北京語で話しかけても、イヤな顔をして英語で答えるのが当たり前だったが、いまや正式に香港は中国の領土であって、国語(北京語)を学び、話さなければならない。


それにしても、中国は変わった。以前は、個人の海外旅行など認めてはいなかった。この二人はツアーでもなんでもなく、ただ二人で日本を歩きまわっている。英語はできるが、日本語はまったくできないのに、こんな田舎をバスで移動しながら、日本人でさえよく知らない水郷の手こぎ船に乗っているのだ。すでに何度も日本を訪れていて、こういう旅の楽しさを知ったのだ、という。
水郷はヨシ原に囲まれている。まれに天然記念物の水鳥カイツムリにであう以外は、最初から最後までヨシ原しかない水路である。ヨシは自然の植生ではない。栽培植物である。船頭さんは高級から低級まで5つの生産品になるのだと教えてくれた。メモをとらなかったので、よく覚えていないのだが、最高級のヨシは皇族の使う御簾、いちばん質の低いヨシが屋根の葺材になるのだという。秋の終わりにヨシ原を焼くと、翌年、青あおとしたヨシ原として再生される。
手こぎ船がUターンするポイントは西の湖に近く、そこからほんのわずかに安土城の山頂が望めた。
それにしてもそれにしても、二人の香港女性は、どこでどうして近江八幡円山の水郷めぐりの情報を入手したのだろうか。そうとうの通ではありませんか。
彼女たちは別れ際にわたしに問うた。
「バスに乗って行くとしたら、次はどこがよいですか?」
わたしは、「隣町の安土城がよいでしょう」と答えた。彼女たちは安土山に登ったのだろうか。


- 2008/08/01(金) 00:12:55|
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